( 2013.02.14 )

  


 天気は晴れのはずなのに、街は黒い霧に覆われ、ほんの十数メートル先も見通すことができない。 化学薬品のようなにおいがたちこめ、呼吸しているだけで喉が痛む。 せきが出るのは当たり前。 前を見ても何も見えないから、街ゆく人は足元を見て歩いている ──。

 近年、中国の大気汚染が人々の暮らしに悪影響を与えているが、今年に入ってから事態はいっそう深刻化している。

 2月6日、北京にある日本大使館は、現地に住む日本人駐在員やその家族、約150人に向けて説明会を開催した。 その際に、汚染が進んでいる北京に住むことを 「壮大な動物実験のような状況に置かれている」 と説明。 あまりにも劣悪な環境ゆえ、8日には日本政府が北京に医師団を派遣することを決定するほどの事態となった。

 「 子供のせきが止まらないので病院に連れていったのですが、同じように体の不調を訴える患者さんでごった返していました。 とにかく外に出ないようにしていますが、近所のスーパーに行って帰ってきただけで、顔をふくと真っ黒に。 もはや人が住むところではありません。 夫には申し訳ないんですが、子供を連れて日本に避難しようか考えています 」 ( 北京に4年住む30代女性 )

 「 もともと、北京は空がどんよりとしていることが多かったんですが、ここ最近の空の色はひどい。 ついこの間も、夫の送り迎えで使っている道路で、何台も巻き込む玉突き事故がありました。 見晴らしのいい道路なのに前が見えないんです。 怖くて車も乗れません 」 ( 北京に10年住む40代女性 )

 「 中国人は、何事も “没法子”( =どうしようもない )といって運命を受け入れることが多いのですが、さすがに今回は 『 日本人は帰るところがあっていいね 』 といった声が聞こえてきます 」 ( 仕事で北京を訪れた40代会社員 )

 こうした大気汚染は、今や中国全土に広がっている。 中国環境保護省によると、1月29日には日本の面積の約3.8倍に相当する143万平方キロメートルがスモッグに覆われ、約8億人が影響を受けるに至ったという。





在留邦人向け
 



 中国在住の日本人から、 「マンションの上層階から下を見ると、道路が霞んで見えない」 というようなことを笑い話として聞かされてはいたが、現状はもはや笑えるものではない。
 今年に入ってから急激に進んだ、中国の大気汚染。 交通に支障が出るほどの “濃霧” より問題なのは、 「PM2.5」 である。 ぜんそくや気管支炎、さらには肺がんの危険性も高める微粒子だ。 首都北京ではこの汚染物質が、WHOが定める基準値の36倍も飛散する日がある。 人々は防塵効果の高いマスクを買いあさり、子どもたちは屋内でしか遊べない日が続いている。
 これはわれわれにとって対岸の火事ではない。 汚染物質は偏西風に乗って日本列島にも到達し始めている。 各地で国の環境基準値を超える 「PM2.5」 が検出されるようになっているのだ。
 領海・領空侵犯とは違う、中国からの脅威。 われわれは 「迷惑な隣人」 にどれだけ悩まされなければならないのだろうか。

 今月6日、北京の日本大使館で開かれた在留邦人向けの説明会。 喘息の症状が出始めたという男子留学生の問いかけに、担当書記官の口をこんな言葉がついて出た。
「まさに今、私たちは壮大な動物実験をしているような状況に置かれている」
 風下に位置する日本にとって、それは決して人ごとではない。
 国境を越えて飛来してくる “殺人スモッグ” 国内の基準値は1日平均1立方メートルあたり35マイクログラム以下だが、西日本各地で基準値超えを観測。 7日には東京都においても、板橋区で59マイクログラム、練馬区で50マイクログラムを観測し、基準値を大きく超えた。
 「 今回の大気汚染は、自動車の排気ガスと石炭ガスの2種類ある。 このうち10~100ミクロンの粒子は韓国あたりで落ちてしまいますが、それより小さい微粒子は偏西風に乗って日本まで来てしまう。 問題の 『 PM2.5 』 は2.5ミクロン以下の微粒子で、これが人体に影響を及ぼします。 この大きさだと呼吸から肺胞にまで到達し、血液やリンパ節に移行するのです。 日本においても、個人的な防御策を講じることが大切です 」 ( 予防医学に詳しい河野公一大阪医科大学教授 )
 専門家の意見や日本大使館の説明会資料をもとに、独自の防御策七ヵ条を作成した。

 
① 予測図をチェックして、ひどい日はなるべく外出を控える
② 子供や高齢者、喘息やアレルギーを持つ人に注意を促す
③ 外出時はマスク着用。できればN95マスクを
④ 室内では窓を開ける頻度を少なくし、窓にカーテン
⑤ 室内の掃除はホコリを立てる掃き掃除ではなく、水拭きで
⑥ 空気清浄機が有効。なければ観葉植物も効果あり
⑦ のどの異変など自覚症状があればすぐに医療機関へ


①予測図をチェックして、ひどい日はなるべく外出を控える

 この対策にいち早く乗り出したのが、富山県の杉原保育園だ。 保育園の野口信一理事長が語る。
「 九州大学応用力学研究所の飛来予測サイトを毎日チェックし、影響がありそうな日は子供たちを外で遊ばせないようにしています。 年明けくらいから始めましたが、週に2日はひどい日がありますね。 子供たちは雪遊びが大好きですが、その日は我慢をしてもらいます。 喘息の子もいますし、乳幼児は大人よりも影響が大きいと聞きましたので 」
 観測データは自治体や環境省のサイトでも公開されているが、アクセス数の急増でつながりにくい状況が続いている。
「 まずは観測システムをしっかり構築しないといけません。 今はこれだけ技術の進歩があるのだから携帯電話とリンクして警報が鳴るようにするとか、今後はそういうシステム作りも考えたほうがいい 」 ( 衛生学に詳しい中原英臣新渡戸文化短期大学学長 )


②子供や高齢者、喘息やアレルギーを持つ人に注意を促す

「 汚染物質を慢性的に吸い続けていると、特に問題になるのが乳幼児と高齢者です。 抵抗力や免疫力が低いため、COPD( 慢性閉塞性肺疾患 )が起こりやすい。 また、これらは発ガン性物質でもあるので、肺胞周囲におけるガンのリスクが高くなる 」 ( 前出・河野氏 )
 呼吸器系と循環器系に影響が出やすいので、喘息やアレルギー持ちの人は特に注意が必要。 さらにこの汚染物質は、花粉症を悪化させる可能性もある。
「 花粉症との相乗効果はまだ研究途中ですが、黄砂や燃焼系粉塵の濃度が高いとアレルギー症状が重くなるという報告があるので、今回の場合も濃度が高ければ症状が重くなる可能性があります 」 ( 衛生化学が専門の早川和一金沢大学教授 )


③外出時はマスク着用。できれぱN95マスクを

「 微粒子用に作られたN95のような密度が高いマスクを選んだほうがいいでしょう。 一般的なエチケットマスクでは微粒子が通り抜けてしまう 」 ( 前出・河野氏 )
 N95はどこで手に入れられるのか、マスクメーカーに聞いた。
「 N95は工場や建設現場、医療機関を中心に販売しています。 そこへの供給責任があるので、一般のホームセンターやネットでも販売してはいるが数は少ない。 値段は10枚入りで3100円。 1日1枚の使い捨てでなければ効果は出ません。 これから注文が多くなれば増産も検討していきたい 」 ( 興研の広報担当者 )
 ただし、一般のマスクでも、ある程度の効果は見込めるという。
「 微粒子でも10個に1個は止まる場合もありますし、マスクでロの中が湿っていればあらゆる病原菌が活動しにくいので、一定の効果はあると思います 」( 環境化学が専門の村野健太郎法政大学教授 )


④室内では窓を開ける頻度を少なくし、窓に力-テン

「 定期的な換気は必要ですが、外を見て空気が霞んでいるようなら、できるだけ窓を開けないほうがいい 」 ( 前出・早川氏 )
 室内ではカーテンが意外な効果を発揮してくれる。
「 新しい家なら大丈夫ですが、すき間の多い古い家なら室内であっても汚染されます。 そういう場合は窓にカーテンをつけるだけでも、だいぶ軽減される。 カーテンに粒子がくつ付くので、室内をクリーンにしてくれる 」 ( 前出・河野氏 )


⑤室内の掃除はホコリを立てる掃き掃除ではなく、水拭きで

 日本大使館の説明会では室内での掃除方法について、 「 排気のきれいな掃除機の使用 」 と 「 雑巾での水拭き 」 を呼びかけていた。
 なぜ水拭きなのか。
「微粒子は呼吸から入ってくるので、ホコリを立てる掃き掃除は好ましくありません。 雑巾を固く絞った水拭きでの掃除の方がいいでしょう 」 ( 前出・早川氏 )


⑥空気清浄機が有効、なければ観葉植物も効果あり

 北京では屋内の汚染レベルも屋外の約半分に達するため、日本製の空気清浄機がバカ売れだ。
「 観葉植物を置くだけでも、一定の効果が見込めますね。 観葉植物は空気をきれいにし、加湿効果があります。 加湿すると微粒子が下に落ちるので、そこを水拭きするのが一番いい 」 ( 前出・河野氏 )


⑦のどの異変など自覚症状があればすぐに医療機関

 冒頭の説明会に出席した北京在住のフリーライター・小林さゆり氏は、想像していた以上の現状に愕然としたという。
「 説明会では大使館の医務官がアメリカのデータを示し、高濃度の大気汚染に数時間さらされただけで、心疾患患者の症状が悪化したケースを発表していました。 滞在期間の長さで判断するのはあまり意味がないようです。 また、一番の有効な対処法は 『転地・転職をすること』 とも言っていて、参加者からは 『えッ!』 というため息が漏れました。 これまで12年間住んでいた中で、今回が一番ひどいなとは感じていましたが、実情はそれ以上で、恐ろしくなりました 」
 実感が湧かないからといって、油断はできないのだ。 「 のどに異変を感じたり咳が止まらなかったり自覚症状があるようなら、すぐに医療機関に行くことも大事なことです。 喘息や気管支炎などの症状がよく話題に上りますが、最悪の場合は肺ガンですからね。 早期の対応策が必要です 」 ( 前出・中原氏 )