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“OA”




誰が、いつから、何のために?  
中国は、日本の “ODA” をどうみているか?  
呪縛・対中援助の馬鹿馬鹿しさ!!  
瀋陽事件でわかった!
  今こそ中国への “ODA” を止めよ!
 
援助カード  




世界2位の経済大国中国に支援は不要
   英独が対中援助中止・削減へ
 

中国に土下座して
   毎年40億円を差し出す日本を描いた名ジョーク
 

中国に貢ぎ続ける日本
   「日本が中国に毎年、12億ドルの援助を送る」
 

日本の対中ODAの総額は
   6兆円を軽く突破し現在も続いている
 

日本は消費税増税の必要まったくなし、財源は十分ある!  

日本がODAの明細を
   中国語で公開すれば中国幹部は狼狽する
 

中国GDPが日本上回り世界2位へ、
   過度の依存は日本経済リスクに
 

いよいよ過熱する 「中国バブル崩壊観測」 の真偽  

対中ODAの継続、97%が 「援助必要ない」  

米議会、対中援助に反対  
   「中国が国策として経済発展を優先させたために起きる中国の環境汚染を、なぜ米国民の税金で防がねばならないのか」

いつまで続ける対中国ODA
   …… 年間300億円、なぜ日本は 「貢ぐ君」 か
 



( 2014.01.27 )

  
 2014年1月22日、中国のネット掲示板・天涯社区に 「中国人よ、 『抗日』 は一体何のためだ?」 と題した記事が掲載され、話題となっている。以下はその内容。
 今の中国は日本を敵視していて、 「抗日」 を叫ぶ声で満ちあふれている。 日本といえばすぐに 「恨み骨髄!」 の若者よ、日本と中国の関係が本当はどうだったのか、君たちは知っているのか? 中国の改革開放から30数年、日本が中国に何をしてきたか教えてあげよう。

 日中の貿易関係は1950年代に半官半民の形で始まった。 60年代になって中ソ関係が悪化すると、中国はソ連や東欧諸国から技術設備などの導入の道を絶たれ、日本に活路を見出すことに。 1972年の日中国交正常化後、両国は貿易協定を締結。 1966年から1980年代中期までの20年間、日本は中国にとって最大の貿易相手国であり、80年代後期から90年代初期の香港に代わり、1993年から2002年まで日本は再び最大の貿易相手国に返り咲いた。

 日本企業は1979年から中国への直接投資をスタートさせた。 90年代前半には対中直接投資は急上昇。 たとえば日本の製造業の対中直接投資額は、1990年は1億6400万ドルだったが、1995年には35億8000万ドルと爆発的に増加している。 90年代後半には、日中両国の政治的影響やアジア金融危機などで、日本の対中直接投資は4年連続で大幅減少したが、20000年から再び増加に転じた。 日本は対中直接投資累計額で1位であり、日中貿易の発展に直接的な作用を及ぼしてきた。

 そして日本はどの国よりも早く、改革開放後の中国に援助を差し伸べた国だ。 日本の政府開発援助( ODA )は、1982年から1984年まで中国が最多受け入れ国だった。 1979年から1984年まで、経済協力開発機構( OECD )下部組織・開発援助委員会( DAC )の加盟国及び国際機関の対中経済援助総額の45%を日本のODAが占め、世界1位に。 1989年、中国が受けた外国からの援助のうち、日本の援助がその70%近くを占めた。 2000年には、日本の対中ODAは各国政府からの対中ODA総額の61.2%を占め、日本のODAだけで他のODA総額を上回った。

 ODAには円借款と無償援助、技術協力の3種類がある。 1979年から2006年までに日本政府が提供を約束した対中円借款の総額は3兆2000億円に上った。 2007年度の460億円を最後に、日本の対中円借款の歴史は終わりを告げた。 だが、無償援助と技術協力は継続中だ。

 今日に至るまで、中国の現代工業は基本的に日本の技術によって発展してきた。 われわれがよく知っている家電メーカーも、日本の技術なくして発展はありえなかった。 われわれが使っている日用品もほとんどが日本製品のコピーだ。 中国の重工業、製鉄、自動車、エネルギーなどの産業も日本の技術を導入、もしくは日中合弁という形式を採用している。 客観的事実からいって、われわれのすべての工業に日本の影が映っている。 では、なにをボイコットするのか。

 消費とは自分の生活を豊かにするためのもので、 何かの島のためでもなく、 何かの政治のためでもない。 自分を大切にし、 家族を愛し、 法律を守り仕事に励むことが愛国だ。 「愛国」 という衣装をまとい、 同胞を傷つけるような行為を行うのは愛国ではない。 家族の幸せこそが最大の幸せなのだから。


( 2018.10.26 )
ODA
   



中国を訪問し、李克強首相と握手する安倍総理
 少なくとも政府レベルで日中関係が改善しつつあるこのタイミングで中国向けの政府開発援助( ODA )を終了させることは、中国に 「思い知らせる」 ことが目的ではなく、むしろ日本政府は国内の反中感情を満足させつつ、中国政府との協力を軌道に乗せる手段として、この決定に踏み切ったとみられる。


「反中世論の満足」

 10月25日に訪中した安倍首相は、中国向けODAが 「歴史的使命を終えた」 として、終了する方針を打ち出した。 首相訪中直前に明らかになったこの方針は、多くの日本人にとって 「遅きに失した」 ものかもしれないが、それでも 「もはや日本よりGDPが大きく、これまでの経緯からしても、まして中国が軍拡を推し進めていることからも、援助しないのが当たり前」 といった反応がネット上には目立ち、総じて肯定的に受け止められているようにみえる。

 日本政府がこういった世論の支持を期待していたことは疑いない。 だとすれば、政府の方針は反中世論を味方につける国内政治上のプラスポイントとなる。

 ただし、中国の経済大国化や軍拡、さらにこれまでの日中関係があったとしても、単に 「思い知らせる」 ためだけにODAを終了させるなら、尖閣問題の表面化から安倍首相の靖国参拝に至る、日中関係が極度に悪化していた2010年代前半の段階で、その決定をしていてもおかしくなかったはずだ。

 まして、いくら国民の約8割が中国に親近感を抱いていなくとも、日本政府がただ反中世論に傾いてODAを終了させたとも思えない。 そこには以下のポイントがある。

 いま日本が対中ODAを終了させても、中国にダメージはほとんどない。  それどころか、対中ODAを終了させても外交関係にダメージがないタイミングで、この決定は行われた。  さらに、対中ODAを終了することは中国の満足感を引き出す効果がある。


中国にダメージはない

 まず、日本が対中ODAの終了は中国にほとんどダメージがない。 日本の対中ODAは、既に大幅に削減されていたからである。

 1979年にスタートした日本の対中ODAは、1990年代の後半に転機を迎えた。 当時、軍拡を進める中国の艦船が日本の排他的経済水域で勝手に調査をするなどしたこともあり、日本の対中感情が悪化。 内閣府の世論調査では、中国に 「親しみを感じる( 「どちらかというと」 を含む )」 という回答は1980年に78.6パーセントだったが、1996年には48.4パーセントにまで落ち込んで 「親しみを感じない( 「どちらかというと」 を含む )」 と同率となり、その後も下落し続けた。

 この背景のもと、それまで対中ODAの中心だった、鉄道建設や港湾整備などの大規模プロジェクトをローンを組んで行う 「有償資金協力( 円借款 )」 が2000年をピークに急激に減少し、2008年を最後に終了した。

 その後、日本の対中ODAは、職業訓練など、相手に返済義務はないが一件あたりの金額がより小規模の無償援助のみ行われてきた。

 しかし、それも2015年段階で1億5144万ドル( 約150億円 )と、現在の中国からみて必ずしも大きな金額ではない。

 さらに、中国は過去の円借款の返済を続けているため、2008年以降は日本から中国に渡る金額より、その逆の方がはるかに多くなっている。

 したがって、対中ODAの終了は、中国にとってほぼ全くダメージがない。


なぜこのタイミングか

 それでは、なぜ日本政府は対中ODAを終了させたのか。

 ここにきて日中関係は、少なくとも政府レベルでは改善しつつある。 2017年12月に日本政府が中国政府の推し進める 「一帯一路」 構想に部分的ながら協力する方針を打ち出したことは、その象徴だ。

 なぜ、このタイミングなのか。 逆にいえば、なぜ今まで続けてきたのか。

 ここで重要なことは、これまでの対中ODAには、世論レベルで悪化し続ける両国の関係をかろうじてつなぎ止める役割があったことだ。

 日本の対中感情が悪化し始めた1990年代の末には既に、自民党のなかで対中ODA見直しの要求が出始めていた。 そのなかには、当時まだ中堅議員だった安倍晋三氏もいた。

 しかし、これと並行して、両国の経済関係は深化し続けた。 2000年当時、日本の中国( 香港を除く )への輸出額は約303億ドル、輸入額は551億ドルだったが、2010年にはそれぞれ1496億ドル、1533億ドルにまで成長し、中国は最大の貿易相手国となった( IMF, Direction of Trade Statistics )。

 この背景のもと、両国でお互いへの反感が募ったとしても、日本政府には中国政府との外交関係を維持する必要があり、ODAは文化交流などとともに、その数少ない手段となっていた。

 その裏返しで、日中関係が改善しつつあるいま対中ODAを終了させることは、 「もはやODAがなくても中国とのパイプに心配はいらない」 という日本政府の自信を示す。 言い換えると、 「少なくとも政府レベルでの両国関係が最悪期を脱した」 と判断したからこそ、日本政府は対中ODAを終了できたといえる。


中国政府の満足感を引き出す

 そのうえ、対中ODAの終了は、中国政府の満足感を引き出すものでもある。 ODA終了で、日本が中国を 「大国」 として承認することになるからである。

 日本が円借款を終了させた2008年は、中国で北京オリンピックが開催された年だった。 これは国内、特に自民党から突き上げられ続けてきた外務省にとっても、中国政府に 「中国は名実ともに大国となったのだから、もう大規模なODAは必要ないでしょう」 と言いやすいタイミングだった。 これに対して、中国側から取り立てて否定的な反応はなかった。

 今回の場合、日本政府はODA終了と入れ違いに、中国政府と開発プロジェクトに関して協議する 「開発協力対話」 を立ち上げ、アフリカをはじめとする第三国への支援で連携を図る考えだ。 その第一号は、タイでの高速鉄道建設になるとみられる。

 中国政府がタイ東部で進める、450億ドル以上の規模になるとみられるこのプロジェクトに、日本政府は300億ドル以上の円借款、14億ドルの無償資金協力、16億ドルの技術協力を提供する意志を既に示している。

 これはインフラ輸出を加速させたい日本政府にとってチャンス拡大を意味するが、同時に中国政府にとっては日本から 「対等なパートナー」 としての認知を公式に得るものである。 アメリカのトランプ政権との対立が深刻化する中国にとって、日本との関係が再び重要性を増すなか、 「対等のパートナー」 と位置づけられることには大きな意味がある。

 そのため、中国政府もむしろ対中ODA終了を肯定的に評価しており、国内メディアに日本のODAが中国の発展に貢献したことを重視して報じるよう指示している。 政府がメディアの論調まで指示することの是非はともかく、ここで重要なことは、中国政府が 「貢献者」 と日本を表現した点だ。

 日中関係が悪化しつつあった2000年、中国大使を務めていた谷野作太郎氏は中国政府に 「 『日本の援助が中国の経済発展に役立った』 と中国側は日本人に言うべき」 と伝え、これに対して楊文昌外務次官( 当時 )が 「日本の円借款が中国の経済建設に果たした役割を高く評価する」 と述べた。 しかし、自民党内では 「 『援助』 といわず 『資金協力』、 『円借款』 という言葉ばかり使った」、 「 『感謝』 が表明されなかった」 ( 産経新聞、2000年3月28日 )と批判が噴出し、日中関係がさらに悪化する原因の一つとなった。

 「感謝されなかった」 と不満を呈することへの賛否はさておき、18年前と比べて今回の中国政府に肯定的な態度が目立つことは確かで、そこには中国政府の対日関係のシフトとともに、日本政府の提案に対する満足感をもうかがえるのである。


内政と外交の一石二鳥

 だとすれば、政府は対中ODA終了によって、国内の反中世論の支持を得ながら、同時に 「これまでと違う関係を築く」 というメッセージを送って中国政府の満足感を引き出す決定をしたことになる。 このねじれた方針の対象になっているという意味で、強い反中感情に基づいて今回の決定を支持する人の多くは、一周回って中国政府と同じ立場に立っているともいえる。

 いずれにせよ、これによって( 何度もいうが政府レベルで )日中関係が新たな段階に入りつつあることは間違いなく、トランプ政権の暴走によってアメリカ主導の国際秩序が根底から揺らぐなか、さまざまなリスクヘッジが不可欠であることに鑑みれば、妥当な決定といえる。 ただし、中国のペースに合わせ過ぎないこともまた必要であるため、日本政府に微妙なかじ取りが求められることには変化がないといえるだろう。





( 2018.10.26 )

 日本政府が中国への政府開発援助( ODA )の終わりを宣言した。 40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。 その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。 日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。


会談で握手する中国の習近平国家主席(右)と安倍首相
 1998年秋、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。 日本側が官民あげて日中友好への祈りをもこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。

 日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。 だから一般国民もまったく知らない。 北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。

 日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。 旧大蔵省と輸出入銀行から 「資源ローン」 などという名称で公的資金が中国に供されていた。 その総額は99年までに3兆3千億円と、その時点でODA総額を越えていた。 だから中国への援助総額は実際には7兆円だったのだ。

 出発点となった79年の大平正芳首相訪中で、大平氏は対中ODAの目的について 「日中友好」 を強調した。 その後、ODA総額が大幅に増えた88年当時の竹下登首相は 「中国人民の心へのアピールが主目的」 と明言した。 だが人民は日本からのODAを知らないから心に伝わるはずがない。

 中国政府がODAのために対日友好を増した証拠は皆無である。 逆にODAがさらに巨額になった90年代をみても、 「抗日」 の名の下に日本への敵意を自国民にあおる共産党政権の宣伝や教育は激しかった。

 日本側からみての対中ODAの成否は政府の 「ODA大綱」 に照らし合わせれば明白となる。 大綱は日本のODAが 「軍事用途への回避」 とくに相手国の 「軍事支出、大量破壊兵器、ミサイルの動向に注意」、そして 「民主化の促進」 「人権や自由の保障」 に合致することを規定していた。 だが対中ODAはこのすべてに違反した。

 軍事面では単に日本からの資金が中国政府に軍拡の余裕を与えただけでなく、日本の援助でできた空港や鉄道、高速道路の軍事的価値の高さを中国軍幹部は堂々と論文で発表していた。 チベットへの光ファイバー建設は軍隊が直接に利用していた。 同じく日本のODAで完備した福建省の鉄道網は台湾への攻撃態勢をとる部隊の頻繁な移動に使われた。 台湾の李登輝総統から直接に 「日本の対中援助では福建省の鉄道建設だけは止めてほしかった」 と訴えられたことは忘れ難い。

 日本のODAが中国の民主化や人権尊重に配慮しなかったことも明白だった。 ODA大綱では民主主義や人権を弾圧する国には援助を与えないはずだったのだ。 中国の非民主的体質はいまのウイグル人弾圧をみるだけでも実証される。

 だから対中ODAとは日本政府が自ら決めた対外援助政策を無視しての超法規のような措置だった。 日本政府は中国を特別に優遇した。 中国の国家開発5カ年計画に合わせ、5年一括、中国側が求めるプロジェクトへの巨大な金額を与えてきた。 中国には自国を強く豊かにするための有益な資金だった。