~ 誰が、いつから、何のために ~



中国への援助は、こうして始まった

 そもそも中国ODAとは、どのような性格を持つものなのか。
 日本の中国に対する援助が始まったのは1979年に遡る。 この年、中国で改革開放政策が本格的にスタートした。 だが、その壮大な現代化プランの最大のネックは資金難にあった。 中国にはカネがなかったのだ。
 家庭でいえば貯金はないのに、マイホームは欲しいというようなものである。 ローンに頼るしかない。 このローンの最初の貸し手が日本だった。 アメリカでもヨーロッパでもなかった。

 日本からの経済援助は、まず1979年12月の大平総理( 当時 )の中国訪問で、79年度分として500億円が事前通告されたのに始まる。
 この第1次円借款は最終的に6案件、商品借款1300億円を含めて 総額3,409億円が供与 された。 対象案件は当初港湾2件、鉄道3件、水力発電1件で、内訳は次のようなものであった。
 ( 1 )石臼所港建設事業[ 429.45億円 ]
 ( 2 )兌州・石臼所間鉄道建設事業[ 397.10億円 ]
 ( 3 )北京・秦皇島チンホワンタオ間鉄道拡充事業[ 870.00億円 ]
 ( 4 )衡陽ホンヤン・広州間鉄道拡充事業[ 133.20億円 ]
 ( 5 )秦皇島港拡充事業[ 277.85億円 ]
 ( 6 )五強渓水力発電所建設事業[ 1.40億円 ]
 81年には中国の経済調整政策の強化によりプロジェクト実施の見直しが行なわれ、この中から鉄道1件、水力発電所1件の実施が見送られ( 4と6の案件 )、その分は商品借款に振り替えられた。 商品借款の見返り資金は宝山製鉄所、大慶石化工場の建設資金にまわされた。
 この第1次の特徴は、鉄道や港湾などインフラ整備に資金が使われたことである。 中国には借款の担保は内陸の石炭や石油などエネルギーしかない。 内陸と沿岸を結ぶルートの確保。 これにジャパンマネーを投じたのである。
 この第1次円借款の要求金額に関してある噂が残っている。 中国政府は日本に対して経済建設資金以外に1979年の中越戦争( 対ベトナム戦争 )にかかった戦争費用も加えて、請求リストに載せてきたというのである。 外務省内部で今も密かに伝えられている「 噂 」がこれである。 もちろん当時の日本・大平総理は拒否したという。


円高による 「円借款=高利貸し論」 の台頭

 第2次円借款は1984年3月の中曽根総理( 当時 )の訪中の際、7案件について7年間( 90年度まで )にわたり、総額4700億円を目途に協力が約束された。
 対象案件は、次の7件だった。
 ( 1 )衡陽・広州間の鉄道輸送力拡充
 ( 2 )鄭州・宝鶏間の鉄道電化
 ( 3 )秦皇島港の拡充
 ( 4 )連雲港の拡充
 ( 5 )青島港の拡充
 ( 6 )天津、上海、広州の電話通信網拡充
 ( 7 )天生橋水力発電事業
 だが、その後急激な円高などの影響を受けて、プロジェクト・コストは当初の予想を下回り、88年にはさらに9案件が追加された。 その中には北京の地下鉄建設事業も含まれる。
 注意してほしいのは円借款の性格である。 貸し付けは円建てになる。
 平均の金利は年率2.5%、返済期間の平均は約29年である。
 当然円高になると、相手国政府の通貨は日本の円に対して弱含みになり、返済総額は円で借りている分だけ増えることになる。 逆に円安になれば、これと反対に返済総額は減る。
 だが、この円借款の持つそうした性格が時には外交問題にも浮上してきた。 90年代に入って急激に進んだ円高に返済総額がアップした結果、中国政府の対日不満が爆発、 「 ODA=高利貸し論 」 までがマスコミに登場しはじめた。
 その後日本政府は、この円高の調整として黒字分を再度還流させる処置をとる。 こうした経過を辿りながら、第2次円借款は最終的に当初の予定の7年間を1年短縮して89年度までで 5,709億円を供与 して終了した。


中国援助に隠然たる力を有した竹下元首相

 第3次円借款は、88年の竹下総理の中国訪問で決定した。 90年から95年までの6年間に42案件、総額8,100億円の供与 が約束されている。 だが89年、天安門事件が発生し、西側諸国を中心に中国非難が噴出、日本政府は89年7月のアルシュ・サミットでの合意を踏まえて、第3次円借款の取り扱いについて慎重を期した。
 その後、90年7月、海部総理がヒューストン・サミットで第3次円借款の実施を表明した。 これを受けて90年度は3回に分けて、20案件、1225億2400万円の供与が行なわれた。
 第4次円借款は、94年5月の村山総理の中国訪問で実現した。 総額9,700億円、案件は68件である。 この第4次から、従来までの供与方式が変わった。 これまでの5、6年にわたる長期コミット方式を改め、まず前半3年間の協力内容を固め、残りの2年分はあらためて協議する、いわゆる「 3プラス2 」方式に基づいて実施することとなった。
 その結果、前3年度分( 96-98年 )で5800億円、40案件、後2年( 99-2000年 )で3900億円、28案件が最終決定した。
 この「 3プラス2 」方式への変更は、明らかに中国の軍事費の増大、台湾海峡での緊張の高まりを受けて、日本の外交カードとしてODAを機動的に使おうという日本政府の意向がある。
 その第4次円借款も終わり、第5次円借款の供与問題が、現在外交テーマとして浮上してきている。 だが、今度ばかりはこれまでのようにスムーズにはいかないだろう。
 理由はいくつかある。
 まず、日本と中国の間に、本音でカネの話のできる政治家がいなくなった。 具体的に言うと、これまで中国向けのODAを仕切ってきた竹下登元総理の死去は大きい。
 「 少ない金額ではない。 中国人民を代表して心から感謝したい 」  これは竹下が総理に就任した直後に決めた第3次円借款に対して、鄧小平が言った言葉だ。
 「 竹下先生は日本の中国援助の最大の功労者 」
 第4次円借款の供与に際して、当時の李鵬首相はこう言って竹下を持ち上げた。
 竹下もこう言い切る。
 「 第3次、第4次の援助に直接関わってきた。 そのことを誇りに思っている 」
 こうした発言は、人民日報にすべて掲載されている。
 だが、その竹下はもういない。 日本の政官界で根回しに長けて、最終的な決着のできる政治家はいなくなった。 これまでのような実力者は短期的には出現してこないだろう。 財政上の制約も厳しい。
 だが、それ以上に国民の中に芽生えはじめた嫌中国感情は無視できない。 蛇頭による密入国や中国人の日本での犯罪の多発、そして膨張しつづける軍事費の増大などがこういう草の根の中国嫌いに拍車をかけている。
 中国ODAを増やすなどとは、とんでもない話だと、日本人の大多数は考える。
 だが、中国側の事情は違う。 「もっとくれ!」、こうなのだ。


失政の埋め合わせを日本に求める中国の論理

 中国では今年から第10次5ヵ年計画( 2001~2005年 )が始まる。 日本のODAは、今までこの中国の5ヵ年計画に合わせて供与されてきた。 次の第5次円借款はこれまでの5年分一括供与( 第1,2,3次円借款 )や、前期・後期2回分割供与( 第4次円借款 )と違い、1年ごとの供与スタイルに変更される。
 第10次5ヵ年計画の最大の柱は、西部開発である。 この20年間、沿岸の東部地域に比べて、内陸の西部地域は発展から取り残されたままだった。 たとえば1人当たりのGDPで見ると、最先端都市の上海と内陸の貴州や甘粛、青海省などとの経済的格差は、すでに5倍に達している。 内陸はこれほど貧しい。 操作されたと思われる政府の公式データですら、ここまで格差は広がっている。 当然、西部住民の不満は大きい。
 だが、この格差を生んだのは沿岸部の開発を最優先し、 「 豊かになるところから豊かになれ! 」 と言いつづけてきた共産党の政策である。 ツケは誰が払うのか。
 日本が払ってくれ。 これが中国の思惑なのだ。
 現在、東部と西部を比較した場合、外資が殺到しているのは東部地方だけといっても過言ではない。 西部にまわされた資金は、中国に投資された総資本のわずか4%にすぎない。
 交通などインフラの未整備、労働者の水準の低さ、コマーシャルリスクの大きさなど、民間企業は進出に二の足を踏んでいるのが実情なのだ。 カネはまわらない。 中国政府は豊かになった沿岸部から、カネと技術を遅れた西部に還流させたい。 だが開放政策で一番いい目を見た沿岸部住民は、いたってクールなのだ。
 教養のなさ、公共心の欠如、封建的思考。 都市住民の農村に対する長い伝統的な差別感情に拍車をかけたのが、この20年にわたる開放政策だった。 もはや両者の文化的・経済的格差は永遠に埋まらないだろう。 差別感情も消えない。
 だが、このまま放置はできない。 社会不安をもたらしかねないし、流民化も加速するだろう。 そのためにもこの地域にカネを流したい。 だが、国内資金は限られている。 中国もまた財政赤字は急速に膨張しているからだ。
 こうして頼みの綱は、日本のODAということになるのである。
 だが、この西部の未開発は格差を放置してきた中国政府の責任である。 どう考えても、目本に政治的な責任はない。
 いわば失政のツケを、目本の税金で埋めてくれというようなものだろう。 この西部開発にODAを当ててくれという中国の要請は、冷静に考えれば噴飯モノ なのだ。


「もらってやる」 という態度は、どこから来るのか?

 現在、中国全土で、中華愛国主義があらゆるところで語られている。
 日本に対しても、高飛車な発言は多い。 インターネット上を見ても、日本への侮蔑発言や中国ナショナリズムに酔い痴れる無数の声がある。
 それならば、西部の開発事業も自分たちでやればいい。 これは中国人がカネと汗を出して、行なわなければならない国家事業なのだ。 だが、自分の財布からカネは出しません、ODAは戦争賠償金だから日本が出すべきだ、そのカネで西部を豊かにしよう、これが「 中華愛国主義 」の中身である。 夜郎自大という以外にない。
 ODA。 それはしょせん外国のカネだ。 もらうにはいくらかの気後れもある。 そうした感情を消してくれるのが、ODA=賠償金論である。 賠償金なら遠慮はいらない。 受け取って当たり前のカネである。 面子も守れる。
 しかし72年の日中国交正常化の時、周忌来総理( 当時 )は賠償金を放棄している。 これは中国の英断、道義心の高さといわれたものだが、中国内部の事情は、もうすこし複雑だ。 周忌来は今でも国民的人気はダントツの政治家だが、2つの汚点があるとされる。 文革中の中間動揺的な姿勢と、この対日戦争賠償金放棄の2つである。 賠償金の放棄はコンセンサスを得ていたわけではなかった。
 だが、外交上明言してしまった事実はもう消えない。


稀代の反日政治家・江沢民の自己矛盾

 だが、したたかな中国政府は、歴史カードを簡単に手放しはしない。 国家レベルの賠償請求権は 「日中両国人民の友好のため」 に放棄したが、個人補償の権利は消滅していない。 こう言いはじめてきたのだ。
 中国要人の中で真っ先にこうした発言を行なったのは江沢民国家主席で、それも92年の来日中のことだった。
 江沢民は歴代の中国指導者の中でも、有数の親米反日政治家である。 日本への反発がこれほど強い政治家も珍しい。
 以前は、なんのかの言いながら、ここまでとげとげしくはなかった。 中国も素直に日本の援助に感謝を表明していた。 日本側にも中国に戦争中迷惑をかけたお詫びの援助だという思いもあった。 だが、江沢民政権になってこの10年、高飛車で大国主義的な対日姿勢は、露骨なまでに表面化してきた。
 江沢民の運命は、市場経済が成功して、国民の共産党への信頼が持続するかどうかにかかっている。 そのためには今後も日本のカネは不可欠である。 だが、頭を下げるには面子がある。 そのための理論武装が 「 戦争賠償金論 」 なのだ。 気にしないでいい。 これは受け取っていいカネなのだと、国民に自信を植え付け、ジャパンマネーをさらに引き出すための手段。 これが歴史カードだ。 ODAが両国間で問題になれば、かならず先の対日個人補償問題が浮上するだろう。
 ODAといえば、近年日本国内では、ODAが中国の軍事費に転用されているのでは、との疑惑も浮上している。 だがこれについては実のところ、確かな裏付けはないのである。
 とはいえ、中国がODAをどう使っているのか、その情報公開もちゃんとなされていない。
 そもそも軍事費が正確にいくらなのかも、西側では掴んでいないのだ。 日本の防衛庁のアナリストの試算では公表された金額の2,3倍あたりとみているし、イギリスの国際戦略研究所は、さらにそれ以上と見積もっているようだ。
 だが、現代戦はハイテク戦でもある。 そのためには交通網の整備や通信のハイテク化は不可欠の要因である。 この分野に 「 4つの現代化 」 のためのインフラを整備するという名目でODAが利用されたことは容易に推測できる。
 かつて台湾の李登輝総統は 「 日本の対中国ODAに反対はしない 」 としつつも、福建省や広東省などへのインフラ支援は、結果的に台湾攻撃に転用できるとして、慎重な判断を求めたことがある。 当然だろう。 台湾有事は、日本にもアジア各国にとっても、何のメリットもないからだ。
 中国の大国強国姿勢は、ますます加速している。 日中両国民の感情も、とげとげしいものに変わって来ている。 民主化した台湾への外交的な配慮も一層必要だ。
 今ODAは、明らかに曲がり角にきている。