( 2011.10.29 )

  

 「二人不看深井」。 中国にはこんなことわざがある。 直訳すると 「2人で井戸を覗くな」。 1人が井戸に転落したときに、もう1人が必ず疑われる。 面倒になりそうなことにはかかわるなという意味だ。

 10月13日、中国・広東省仏山市で起きた轢き逃げ事件は、まさにこのことわざをいい当てたような一件だった。 車に轢かれ、路上で倒れている2才の女児を、18人もの通行人が見て見ぬふりをして放置したのだ。 19人目の女性がようやく女児を抱えて移動させた。 その後、女児は病院に運ばれたが、9日後の21日、多臓器不全のため亡くなっている。

 現場近くにあった監視カメラが事件の一部始終を収めていて、その映像がネットで流れると、その許すまじきむごたらしさに、世界中から驚きと怒りの声があがった。

 中国では、昔から見て見ぬふりが当たり前という風潮があるようだが、近年では裁判にまで発展するケースもあり、ますますその行動に拍車をかけている。

 2006年11月、江蘇省南京市で、バス停で転倒して骨折した高齢女性を、通りかかった男性が心配し、病院へ運んだが、その女性が 「骨折したのは男性に突き倒されたからだ」 と主張して裁判沙汰に。 結果は、なんと男性側の敗訴。約4万5000元( 約54万円 )の賠償が命じられた のだ。

 さらに2009年11月にはこんな一件も。 重慶市で中学生の男子が、街で倒れていた高齢者を助けたところ、 「お前が倒した」 として因縁をつけられた。 裁判沙汰になったが、目撃者の証言も多数あって、原告側が訴えを取り下げた が、この男子は、両親に 「人助けなんてするもんじゃない」 と嘆くようになったという。

 善意を仇で返す国民性にはただただあ然とするばかりだが、へたに人を助ければ加害者扱い。 しかもお金まで要求されるとあっては、人助けに二の足を踏むのも無理のないことかもしれない。 だからといって、轢き逃げされたまだ幼い2才の女の子に気づいていながら放置するというのは、人としてとうてい許されることではない。 だが、この正直者が損をするという風潮は、中国の歴史が証明をしているから、その考えを変えるのは難しいと、中国に詳しいライターの田中美奈氏は話す。

 「歴史を遡れば、中国ではさまざまな国や民族が勃興し、その都度、時代の大転換がありました。 そんな中で“信用できるのは自分と身内と金だけ”という考え方が強くなったんです。 日本のようになんとなく平和に生きてきた国ではないんです」










 広東省広州市の2歳女児 「悦悦ちゃん」 の“見殺し事件”は、上海でも耳目を集めた。





 彼女が轢かれ路上に血を流して仰向けになっているのを、見て見ぬ振りで通り過ぎていく広州市民18人。 その模様を収めた映像はまさに“生き地獄”であり、多くの市民の怒りを買った。

 「あまりにひどすぎる!」 と鼻孔を広げる上海の住民。 そのうちひとりの主婦に 「では、あなただったら助けるのか」 と尋ねた。 するとこんな答えが返ってきた。 「隠しカメラが回っているところなら」。 同じ質問をある男性会社員に向けると 「人が大勢いたら助ける」 との回答。 共通するのは、 「証拠として残る」 ことが、手をさしのべる前提となっていることだ。

 これには2006年に起きた 「彭宇事件」 が背景にある。

 南京市である老婆が転倒し、それに気づいた彭宇さんが助け、病院に送り届けた。 その後、老婆から彼の元に4万元に上る薬代の請求書が送りつけられた。 この事件は全国的に報道され、また、その後度重なる類似事件に、中国では 「安易に人を助けてはならない」 という認識が強く持たれるようになった。

 前出の主婦も、 「先日もローカルバスの運転手が路上で倒れている老婆を助けようとしたところ、 『あんたが轢いた』 と逆に訴えられそうになってね。 幸い、バスの中のビデオカメラが一部始終をとらえていてこれが動かぬ証拠になった。 だから、私もカメラが回っているなら助ける、というわけなんです」 と話す。 上海の市井でも、人々は 「うかつに善行を施してはならぬ」 と警戒を強めている。

 さて、事故後、2歳児 「悦悦ちゃん」 の父親にいくつかの電話が入った。 うち1件は運転手からの電話。 電話に出た父親によれば 「最初から最後まで謝りもしないどころか、とにかく振り込むから口座番号教えろ、という電話だった。 ちなみにこの運転手には 「死に至らしめた方が賠償金額が少なくて済む」 という認識があったといわれている。 もう1件は“自称目撃者”からの 「車のナンバーは控えてある。 いくら出す?」 という電話だった。

 マイホームブーム到来以前の90年代末までは、上海の街にも“温かみ”が存在していた。 その一方で、不動産価格が上昇する2000年代中頃から、社会的な世知辛さを痛感させられる事件や話題が増えていったように感じる。

 改革開放30年、世の中の 「信じるものは毛主席」 から、 「金銭」 に取って代わった。 今回の悦悦ちゃん事件の根底にも、過度な拝金主義が存在していることは否めない。




 上海では今、 「それはないだろう!」 と疑いたくなるほど、道徳観の欠如が顕在化している。

 「あんた、いくら持ってるの?」 ――
 “将来の義母”が婿になろうとする男性に、のっけからこんな質問をぶつける。

 中国で今人気の 「丈母娘挑女婿」 という番組は、娘の彼氏を娘の母親が品定めする番組である。 その生々しいバトルは上海の巷でちょっとした話題になっているが、 「家は買ったの?」 「所有権はあんた本人なの?」 と露骨なまでの質問に本人たちに悪びれた様子はない。

 そんな番組が流行るなか、最近こんな質問をされた。

「日本の女性は、家も車も貯金もなくても結婚してくれるのか?」

「あまりこだわらない人もいる」と答えると、 「誰か紹介してくれないかな」 と言う。 質問の主は上海から遠く離れた内陸部の出身者で、30歳をとうに過ぎても身を固められないことを苦にしていた。

 なるほど、 「結婚は人生の墓場」 だというネガティブな評価は日本にもあるが、中国においても相当なプレッシャーのようだ。

 結婚時も財産の有無を問われるならば、離婚時も財産をめぐって壮絶な闘いが繰り広げられる。 離婚歴のある男性X氏は、 「妻にとって離婚もまたひとつの金儲けの手段という一面も否めない」 とコメントする。 婚姻前に購入した住宅について、配偶者も一定の権利が主張でき、X氏のように、離婚によってマンションの所有権を妻に持って行かれてしまった男性も少なくない。

 今夏、婚姻法が改正され、ケースにより 「夫婦の一方の個人資産」 と認定されるようになったが、それにしても、 「結婚そのものも仕組まれた“財テク”」 ということも十分あり得たようだ。 とことん、世知辛い世の中になってきたようだ。


 

 ある中国企業で管理職を務めるY氏( 52歳 )を食事に誘った。 「最近はどうか」 と聞くと、 「いまどきの会社員はあまりにひどすぎる」 と顔を曇らせた。 そしてこう語る。

 「40代はまだまとも。 今の30代は“一気にガッポリ”稼げる仕事じゃないとやらない。 80后はもっとひどい。 “環境のいいところ、給料のいいところ、そして毎日楽しく仕事できる会社”がいいそうだ。 そんな会社がどこにあるのか!?」

 せっかく面接を経て合格を出した人材も、翌日は平気で出社しない。 Y氏が連絡して確認を取ると、 「あ、両親に反対されたんで。 “そんなつらい仕事なら、パパやママが面倒みるから”と言われました。 なので会社には行きません」 ( 携帯 「ブチッ」 )――。

 道徳観の欠如は教育の現場にも現れる。

 昨今、ほとんどの学生が大学進学を目指す時代、少しでも“老師”に目を掛けてもらおうと、保護者らは必死だ。 盆暮れの付け届けは当たり前だが、これがどんどんエスカレートしている。

 ある母親は 「数万元( 1元=約12円 )の時計を贈ったところ、このブランドは知らないから、という理由で突き返された」 とショックを隠せない。 彼女によれば、 「ある程度の有名ブランドで価値あるものでないとダメ、半端なものは贈って寄越すな」 という意味なのだそうだ。

 教師の関心を惹きつけるのも容易ではなくなった昨今、上海ではある保護者が贈った贈り物が話題になった。 なんとそれは 「海外旅行ご招待」。 ゴマすり競争もここまでエスカレートすれば世も末である。 そのうちマンションの1戸や2戸、などという珍事も飛び出す可能性は否定できない。

 「人々が安心して暮らせる社会、そして安全な都市作りの土台には、生命、財産、権利、自由、安全を守れる制度が確立されていなければならない。 その社会建設の基礎となるのがひとりひとりの道徳観である」 と、ある大学教授は指摘する。

 最近はこの道徳観の低さが社会問題となり、新聞やテレビでは市民の啓発に人知れず善行を積む人々にスポットを当てる特集が増えてきているが、この程度ではなかなか変化をもたらすことは至難だろう。

 改革開放以来、中国は金銭という新しい価値に人々の関心を固定化させた。 「白猫でも黒猫でも」 という鄧小平理論は勝手に解釈され、 「金儲けのためには手段を選ばず」 にすげ替えられた。 電車の中でもバスの中でも聞こえてくるのは 「給料はいくらか」 「いくら儲けたのか」 「儲かる仕事はどこにあるのか」、そんな会話ばかりだ。

 このまま中国は、神もホトケもなければ、血も涙もない“絶望の国”に突き進むのだろうか。 勤労者は馬鹿を見、善意は傷つき、人々の良心はますます奥深くに押しとどめられるようになったこの社会で、改革開放30余年の功罪は改めて問われるべきだろう。





( 2011.12.02 )

  


 1日、天津市内のバスで乗客が運転手を殴る騒ぎが起きていたことが分かった。
 2011年12月1日、台湾の NOWnews によると、また中国人の公共心や人情に疑問を投げ掛ける事件が起こった。
 本来、公共交通機関は便利で安価なことから 「公共」 で使用するものだが、もちろん決められたルールは守らなければならない。 中国のバスは原則 「前乗り後降り」 だ。 11月30日、天津市の浜海新区でバスの運転手が、若い男女が前ドアから降りようとするのを規定どおりに止めたところ、この男女はこれに腹を立て、自分で開閉ボタンを操作して降りようとした。 それを止めた運転手を女性が殴りつけ、その後一緒にいた男性も加勢した。 最終的にこの男女は前ドアを開け、降りていった。 運転手は6分間にわたり殴られ、その一部始終はすべて車内の防犯カメラに録画されていた。 乗客で制止するものは1人もいなかったという。

 この騒動で、運転手は左目に打撲を負い、顔中血だらけになった。 その後、バス会社の同僚と警察が現場に駆けつけ、運転手は病院で手当てを受けた。 運転手は左目にガーゼを当て、顔面左側と頚部けいぶにたくさんの引っかき傷があり、顔が赤く腫れあがった痛々しい様子で 「みんながこれほど冷淡だとは思ってもみなかった」 とため息をつく。 外傷だけでなく、事故発生時、制止したり通報したりする乗客がいなかったことで、彼が受けた心の傷は深いという。


 





( 2010.01.15 )

 

 2009年12月28日、河南省鄭州市の “二七区法院( 裁判所 )” は19歳の河南大学生である李凱強に対して次のような判決を下した。
 2008年8月21日15時14分、原告の宋某は自転車に乗って鄭州市金水路を北から南に向かい鄭州大学第一付属医院( 以下「鄭大医院」 )の立体交差のロータリーで、被告の李凱強が乗る電動自転車に引っ掛けられて負傷した。 宋某は医院で診断後、医療費がないために自宅で療養して現在に至っている。
 裁判所は李凱強の電動自転車と宋某の自転車とが接触したことで交通事故が発生したものと認定するが、調査結果からは、事故が被告・原告のいずれの過失によるものであるか判定できない。 そこで、公平の原則に基づき、原告である宋某の損害の合理的部分を双方で50%ずつ分担するのが比較的妥当であると考える。
 よって、李凱強は宋某に対して1万元( 約14万円 )の精神的慰謝料と治療費などその他費用の合計7万9000元( 約111万円 )を15日以内に支払うことを命ずる。
 2010年1月8日付の河南省の夕刊紙 「鄭州晩報」 は、1月6日午後に行われた李凱強とのインタビュー記事を掲載し、次のように報じた。

 事故当日、李凱強は電動自転車に乗って鄭大医院の通用門に差し掛かったが、電動自転車が電池切れとなりそうになったので、近くにある親戚の家で充電しようと速度を落とした。

 彼がロータリーを回って棉紡東路に入った直後、後方で 「バン」 という衝突音を聞いた。 李凱強が後を振り返ると、1台の自転車が彼の電動自転車の後輪にぶつかり、老婦人が地上に座って、 「ああ」 とうめいているではないか。

 李凱強は躊躇せずに老婦人を助け起こそうとしたが、逆に老婦人は彼にしがみつき、 「あんたが私にぶつかって腰を痛めた」 と大声を上げるではないか。 これに驚いた李凱強は老婦人に 「どうやって俺があんたにぶつかれるっていうのだ」 と反駁した。

 李凱強と老婦人の言い争いは2~3分続いたが、その頃には通行人が集まり周囲に人だかりができた。 その中にいた子供を2人連れた中年の婦人が李凱強に近づき 「私はずっと見ていたけど、あんたはぶつかっていないよ。 放っておきな」 と告げた。

 それから間もなく、人だかりに気付いた巡査が現場へ駆けつけ、老婦人にどうしたのかを尋ねたが、老婦人は 「こいつが信号機を無視してあたしにぶつかり腰を痛めた」 と答えた。

 李凱強は、その時巡査が老婦人に向かって何回も 「もう一度言うけど、ここには信号機はないよ」 と言っていたのをはっきりと覚えている。

 それから老婦人は息子に電話を入れて迎えに来させ、李凱強も父親に電話を入れて面倒なことに巻き込まれた旨を告げた。

 その頃には既に彼らの周りの人垣は少なくなっていたが、その中の1人が 「この坊やは全くぶつかっちゃいないよ。 この女は当り屋だ。 金をかたり取ろうとしているのさ」 と声を張り上げた。

 そうこうする間に李凱強の父親と老婦人の息子が相前後して現場へ到着したが、老婦人の息子は治療費を出せと要求し、双方は対峙して譲らず、李凱強の父親は診察を受ける老婦人に付き添って鄭大医院へ行った。

 事件はそれでうやむやのまま終わりになったと李凱強も父親も思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかったのである。

 事故発生当時、メディアの取材を受けた老婦人は身分証明書を提示して宋某と名乗り、 「建設路へ用事に行こうと、自転車で鄭大医院の立体交差に差し掛かった時、李凱強の乗った電動自転車にぶつけられて腰を痛めた。 あたしは金を騙り取ろうなんてしてないよ」 と繰り返し強調した。

 宋某の主張は次の通りであった。

 事故に遭った当時、宋某は 「河南省ガン医院」 に入院している母親を看病するために鄭州市へ出てきていた。 事故当日は彼女の実家の親戚が母親を見舞に鄭州へ来るというので、鄭州駅で列車の切符を買って、切符を親戚へ送ろうとしていた。

 宋某が自転車に乗って金水路を北から南へ向かい、鄭大医院の立体交差の橋脚に差し掛かった時、突然若者が乗った電動自転車が横から走ってきた。 後からその若者が李凱強だと知ったのだが、彼は電動自転車の荷台に女性を乗せ、かなり早い速度で走ってきた。

 ちょうどその時、1台の路線バスが走ってきて李凱強の乗った電動自転車と接触しそうになり、李凱強はこれを辛うじてかわしたが、その反動で李凱強の電動自転車が彼女の自転車に横から勢いよくぶつかり、彼女は自転車もろとも地面に倒されたのだった。

 彼女を倒した電動自転車は立体交差の橋脚にぶつかって止まったが、彼女の脚は倒れた自転車の下敷きになっていた。 李凱強と同乗していた女性は電動自転車から降りた後に、宋某の足の上に乗った自転車を引き起こして3メートルほど離れた場所に移動させた。

 一方の李凱強は宋某を2メートルほど移動させるとすぐに電動自転車に飛び乗って逃げようとした。 ところが10メートルほど走ったところで、3人の通行人に行く手を阻まれ逃亡を阻止された。

 李凱強の話と宋某の話は全く異なり、彼らの話からはどちらが正直な話をしているのか判断することができない。 ところで、この李凱強の事件と類似の事件が2006年11月に江蘇省南京市で発生していた。

 2006年11月20日の午前中、南京市内のバス停留所で路線バスを待っていた老婦人の徐寿蘭( 当時65歳 )は、( 彼女の言うところによれば )バスを降りて来た彭宇という青年( 男、当時27歳 )に突き倒された。

 これに対してバスを降りた彭宇は、彼がバスを降りようとしたら、目の前で老婦人が転んで倒れたので、助け起こしたのみならず、彼女の親戚が迎えに来てから一緒に病院に送り、病院の検査費用として2000元を立て替えたのだと言う。




 ところが、2007年1月4日になって、徐寿蘭が彭宇を告訴し、事故による脛骨骨折に伴う諸費用の合計として13万元( 当時のレートで約195万円 )の損害賠償を請求したのである。

 この裁判の判決は2007年9月4日に “南京市鼓楼区人民法院” で下されたが、それは被告の彭宇は原告の徐寿蘭に対して彼女が被った損害額の40%に相当する4万5876.36元( 約64万2300円 )を支払えというものであった。

 “南京市鼓楼区人民法院” が示した判決理由は、彭宇が徐寿蘭を送って病院まで行ったという行為がまさに 「後ろめたさ」 の表れであると推定できるというものであった。

 この彭宇に対する判決が下されると、中国国内の世論は湧きかえった。 その大部分は転んで倒れている老婦人を親切心から助けた彭宇が約4万6000元もの損害賠償を命じられたことに驚くとともに、裁判の不当性を唱えるものであった。

 国家統計局の統計によれば、中国における2007年の都市部住民1人当たりの平均年間可処分所得は1万3786元( 当時のレートで約20万6800円 )であり、4万6000元は3年分以上の可処分所得に相当する大金である。

 もし彭宇が老婦人を突き飛ばしたのであれば、老婦人を助け起こすことなどせずに逃げるだろうし、ましてやわざわざ病院まで付き添って送って行くはずがない。

 ところが、裁判所はその彭宇の善意を 「彼が老婦人を突き飛ばしたことの後ろめたさから病院まで送って行った」 と推定したのである。




 世論の大部分は、この判決を下した裁判官は一体どのような精神構造をしているのかと疑問を呈した。

 人の親切心を逆手に取って 「後ろめたさ」 に起因するものと解釈するというのは、裁判官は完全に性悪説に立って人間を見ていることになる。 こうした判決がまかり通るのであれば、 「たとえ困った人がいようとも、決して助けてはならない」 ということにならないか。

 それは即ち、 「人が困っていても見て見ぬ振りを決め込むのが正しい処世術」 ということになる。 彭宇事件の判決が中国国民にもたらしたものは、 「何か事件が起こっても関わり合いを持たずに傍観する」 のが正しい選択であるという教訓だった。

 彭宇は判決を不服として上告したが、一審判決に対する厳しい世論を受けた裁判所は原告・被告の双方に和解を調停し、最終的には和解が成立した模様である。 だが、その和解条件は公表されていない。 関係者は双方が満足行く形で和解したとのみ述べている。

 しかしながら、彭宇事件の影響は重大だった。2008年2月15日に南京市解放南路で92歳の老婆が口から泡を吹いて倒れた際にも通行人は誰一人として救おうとはしなかった。

 たまたま通りかかったダンス教師の女性は、周囲の通行人9人に彼女と倒れている老婆とは何ら関係がないことを確認してもらった上で、電話で120番通報して救急車を要請したのだという。




 2009年5月にもインターネットの掲示板に、ある町の駅前に老人が倒れていて人だかりが出来ていたが、自分も含めて誰も助けようとせず、誰かが出動を要請した救急車が到着するまで約30分間、老人は放置され続けたとの書き込みがあった。

 書き込みを行ったインターネットユーザーは、周りの人々は 「この人は1人で歩いて来て突然倒れた」 と自分たちは老人が倒れたことと無関係であることを強調して冷やかに老人を見つめるだけであった。

 自分は老人を助けようという気持ちはあったが、結局老人に近寄る勇気がなく、救急車が到着したのを見届けてその場を離れたとして、そんな自分に忸怩たる思いにかられたと記述していた。

 判決から2年以上の時が経過して人々の記憶から彭宇事件が忘れ去られようとしていた時に新たに下されたのが、2009年12月28日の李凱強に対する判決であった。

 多くの人々はこの判決を不当なものと考え、彭宇事件を思い出して、中国の司法には正義はないのかという思いに駆られると同時に、またしても 「他人が困っていても、決して関わりになってはいけない」 という思いを深めたのである。




 2009年11月、李凱強は国家公務員試験を受験した。 その直前に届いた裁判所からの出頭命令書を見て、彼の心は千々に乱れた。 しかし、父親が 「裁判のことは忘れて受験に専念するように」 と激励したことで、無事に受験の日を迎えた。

 既に筆記試験、面接を通過して、残すは政治審査のみとなっている。 政治審査に合格すれば、晴れて特殊警察部隊の一員となるのだという。 李凱強の受験は順調に推移したが、裁判の方は7万9000元の支払いを命じられたのである。

 李凱強の両親の給与は2人合わせて毎月1200元( 約1万6800円 )に過ぎず、家を売らない限り、7万9000元の支払いなどできるはずがない。 家の出費を少しでも減らそうと李凱強は毎月200元( 約2800円 )で大学生活を送っており、着るものはいつも同じ。 暇があれば家に戻って家事の手伝いをするのが常であるという。

 こうした苦しい生活状況下で李凱強にできることは、一審判決を不服として上告することだが、それには事故当時の目撃者を捜し、上告審で証言してもらって勝訴するしかない。




 上述の一審判決を報じた 「鄭州晩報」 は、事件当時の目撃者を探して出して得た情報から判断して原告の宋某を 「当たり屋」 と見ているようで、李凱強の目撃者探しに協力している。

 本件に関する一連の記事を読んだ印象から、李凱強は不運にも 「当たり屋」 の標的にされたのだと考える。 このような 「当たり屋」 を判別できない裁判官の資質そのものが問題なのではないだろうか。

 彭宇事件という李凱強事件と類似の事件が2006年11月に発生したことは、 “二七区法院” の裁判官も知っていたはずだ。 にもかかわらず、まともな証拠調べも行わずに、 「交通事故の責任の所在が明確でない時は当事者双方で損害を分担する」 という規定を杓子定規に当てはめて一件落着とする安易な姿勢は論外と言わざるを得ない。

 「最高人民法院の民事訴訟の証拠に関する若干の規定」 第2条によれば、原告の宋某が確たる証拠を示し、被告の李凱強に電動自転車をぶつけられたことで腰を痛めたことを証明できない場合には、李凱強の責任を問うことはできない。 ある著名な法律専門家はこのように述べて、これは 「法律のいろは」 であると強調している。

 司法がまともに機能せず、好意から人助けした無辜むこの善人が損害賠償の支払いの判決を受けるようでは、中国の社会道徳は変調を来たし、誰もが好意を示すことを躊躇するようになるだろう。

 一審判決後、李凱強の父親が李凱強に 「良いことはしなければならないが、必ず多くの人がその場にいることを前提としろ。 もし2人しかいないのなら、する必要はない」 と諭した。 これに対して、李凱強は 「俺は立ち去るよ。 二度と関わるものか」 と答えたという。

 事件の当事者である李凱強がこう考えるのは致し方ないことかもしれないが、庶民の誰もが同様に見て見ぬ振りをする風潮が蔓延したら、社会そのものが機能しなくなるのではなかろうか。





( 2011.09.16 )



 2011年9月3日の朝、湖北省の省都・武漢市で88歳の李爺さんが自宅から100メートルの距離にある野菜市場前の路上で転倒し、顔面を地面に強打して、鼻血を出して動けなくなった。 しかし、路上の人々は冷ややかに見守るばかりで助けようとせず、うつ伏せのまま路上に1時間以上放置された李爺さんは、鼻血による気道閉塞で窒息死した。



 9月4日付の湖北省紙 「楚天都市報」 は、この事件の詳細を次のように報じている。
 事件の目撃者である野菜市場でハスの花托かたくを売っている店主によれば、李爺さんは3日の朝7時半頃に市場の門前で転び、かばい手なしで地面に倒れたために顔面を強打した。 うつ伏せに倒れた李爺さんは自分で立ち上がろうとしたが、力足らずで身体を起こすことが出来ず、鼻血を出しながら動けなくなった。李爺さんは市場の門前に1時間近くうつ伏せ状態で横たわっていたが、この時間帯は通行人が多いにもかかわらず、大勢の人々は李爺さんを取り囲んで見守るばかりで、進んで助けようとする人は誰もいなかった。
 8時20分頃になって、ようやく李爺さんの妻である周婆さんと子供が現場に駆けつけて李爺さんを助け起こし、急いで 「120番」 に電話を入れて救急車の出動を要請した。 救急車は李爺さんが転倒してから1時間20分以上経過した8時40分頃に現場へ到着したが、李爺さんは流れ出た鼻血が気道を塞いだことにより窒息死していた。

 李爺さんの遺体は市内の “漢陽医院” に搬送されたが、突然に連れ合いを亡くして悲嘆に暮れる周婆さんは同医院でメディアの質問に応えて、 「8時過ぎに近所の人から、うちの人が野菜市場の門前で倒れているとの知らせを受けて現場に駆け付けたが、まさか転倒して死ぬなんて思ってもみなかった。 それにしても、どうし誰も助けてくれなかったのだろう。 身体をあおむけにしてさえくれていれば、窒息で死ぬことはなかったのに」 と述べた。 10時頃には李爺さんの息子や娘、娘婿などが漢陽医院に到着したが、彼らは父親の突然の死に当惑し、 「今では老人が転んでも、誰も助けようとしない。 人を助けることを喜びとする美徳はどこに消えてしまったのか」 と嘆くことしきりであった。




 こうした李爺さんの遺族の嘆きに対して、現場で李爺さんを取り囲んでいた群衆の多くは異口同音に、 「善人にはなるべきではない」 と述べていた。 これは人々がメディアを通じて6日前に同じ武漢市内で発生した事件を知り、あの2006年に南京市で起こった 「彭宇事件」 の模倣犯の出現に恐れを抱いたからであった。 その6日前の事件とは次のようなものだった。
 8月28日午後5時頃、胡さんが電動自転車に乗って武漢市内のある交差点に差しかかった時、目の前で、道路を横切ろうとした老婦人が転倒した。 走ってきた自動車を避けようと、後ろに下がろうとした瞬間のことだった。 「危ない」 と思った胡さんは電動自転車を路傍に止め、老婦人に駆け寄って助け起こした。 すると、驚くべきことにこの老婦人は胡さんが自分を転倒させたと断言したのだった。 現場にいた3人の目撃者が胡さんに味方してくれたが、気がいい胡さんは200元( 約2300円 )を老婦人に渡して話をつけようとした。
 胡さんがあいにく現金を200元も持ち合わせていないことに気づくと、見ず知らずの人が80元( 約1000円 )を出して、これで老婦人と話をつけろと言ってくれた。 すると、目撃者の1人である女性が 「自分で転んだことは明白なのに、この人は助けてくれた胡さんのせいにした。 善意の人に罪を着せるなんてことが許されて良いの。 そんなことがまかり通るなら、今後善行をしようとする若者が誰もいなくなっちゃうでしょ」 と強く反対した。 そうこうするうちに警官が駆けつけて取り調べた結果、胡さんは無実と判断され、現場を離れることが許された。
 ところで、上述した 「彭宇事件」 とは何か。 概要は次の通りである。
 2006年11月、バスに乗っていた彭宇という青年が下車する停留所に着いたのでバスから降りると、目の前でバスを待っていたらしい老婦人が転んだので慌てて助け起こし、親切心から病院へ連れて行き、検査費用まで立て替えてやった。 老婦人は脛骨骨折であったが、2007年1月になって、骨折は彭宇に突き倒されたことが原因であるとして、老婦人は彭宇を相手取って諸費用合計13万元( 当時のレートで約195万円 )の支払いを求める損害賠償訴訟を起こしたのだった。 裁判では原告、被告の双方がそれぞれ主張を展開したが、2007年9月5日に裁判所は1審判決を下し、 「彭宇は老婦人を突き飛ばしたことの後ろめたさから病院まで送って行った」 との推定の下、被告人である彭宇に老婦人が被った損害額の40%に相当する4万5876.36元( 約64万2300円 )を支払うように命じたのだった。
 裁判の成り行きに注目していたメディアは一斉に1審判決を報じたが、老婦人の息子が南京市の警官であり、警察署が証拠となる目撃者からの聞き取り調書を紛失したとして裁判所に提出しなかったことも判明し、大多数の国民は判決が不当であると判断した。 この結果、人々は 「触らぬ神に祟りなし」 が正しい選択であると考えるようになり、今や中国にはびこる 「転んだ老人を見ても助けるな」 という嘆かわしい風潮が生まれたのである。




 その後、 「彭宇事件」 に類似した事件が全国各地で発生し、その発生した地名を冠して 「○○版彭宇事件」 と呼ばれるようになった。 その主な例を挙げると次の通りである。
【1】温州版彭宇事件:  2008年2月に浙江省温州市で発生。 道路を横断していた76歳の老婦人が突然倒れたのをジープでゆっくり走行していた “劉子龍” が目撃し、車を止めて老婦人を助け起こして病院に送った。 しかし、その後で老婦人の家族が老婦人はジープに転倒させられたとして劉子龍に医療費の支払いを求めたことから事態は紛糾した。 事件の調停に当たった警察は、老婦人が自分で転んだという目撃者が3人も名乗り出たことから劉子龍に責任のある可能性は少ないとしながらも、劉子龍にも非常に少ないが若干の責任がある可能性を否定せず、さらに調査を進めるとした。 ただし、この結果がどうなったのかは報じられていない。
【2】西安版彭宇事件:  2008年6月に陝西省西安市で発生。 西安市内の興慶宮公園近くの住宅街で “張衡” という青年が自動車をバックさせていると後方で老婦人が転倒したのを見た。 張衡は急いで車から降りると老婦人を助け起こしたが、思いがけないことに、老婦人はバックしてきた張衡の車に転倒させられたと主張して論争となった。 警察が介入して調査に当たったが、警察が発行した “交通事故認定書” には、張衡が後方確認を怠ったことが老婦人転倒の直接の原因であり、事故の責任はすべて張衡にあると明記されていた。 好意で老婦人を助けたのにその恩を仇で返されたとして憤懣ふんまんやる方ない張衡は、メディアに対して裁判に訴えてでも冤罪を晴らすと表明したが、その後の結末がどうなったのかは何も報じられていない。
【3】鄭州版彭宇事件:  2008年8月に河南省鄭州市で発生。 鄭州市内にある立体交差のロータリーを自転車で通行中であった老婦人が、21歳の “李凱強” が乗る電動自転車の後輪に接触して転倒した。 これに気づいた李凱強はすぐさま老婦人を助け起こしたが、驚くことに老婦人は李凱強がぶつかってきたので腰を痛めたと言って彼にしがみつき、2人は言い争いになった。 その後、痛めた腰を治療していた老婦人は李凱強を相手に損害賠償の訴訟を起こした。 2009年12月に鄭州市の裁判所は原告・被告の双方で責任を分担すべしという判断を下し、李凱強に対して老婦人に7万9000元( 約111万円 )を15日以内に支払うよう命じた。

 このように各地で 「○○版彭宇事件」 が続発する中で、2011年9月の現時点で最も注目を集めているのは2009年10月に天津市で発生した 「天津版彭宇事件」 と言われる 「許雲鶴事件」 であるが、その概要は以下の通りである。
 2009年10月21日の午前中に天津市紅橋区の幹線道路( 片側4車線の幅広い道路 )の 「中央分離柵」 寄りの車線を車で走行していた “許雲鶴” は、突然前方に中央分離柵を乗り越えて横断しようとしている老婦人を発見した。 中央分離柵を乗り越えた老婦人は、柵に足を引っかけてバランスを崩してドスンと路上に転倒した。 「危ない」 と慌てて急ブレーキをかけた許雲鶴は車から救急絆創膏を持って老婦人に走り寄り、傷の手当てをすると同時に携帯電話で120番に救急車の出動を要請した。
 ところが、この横で携帯電話を取り出した老婦人( 名前は “王秀芝” )は 「車にはねられた」 と電話の相手に連絡しているではないか。 王秀芝は柵を乗り越えた後に許雲鶴の車が足に衝突し、その反動で飛ばされたところを車の前部で押し倒されたと主張したのだが、これは許雲鶴にとってまさに晴天の霹靂であった。
 その後、王秀芝は許雲鶴に対する損害賠償請求の訴えを起こし、2011年6月16日に “天津市紅橋区人民法院( “法院”=「裁判所」 )” で1審判決が言い渡された。 それは、原告人の王秀芝が中央分離柵を乗り越えた行為は違法であるが、事故の発生については原告・被告の双方に逃れられない責任があるというもので、被告人の許雲鶴は40%の民事責任を負い、王秀芝に障害賠償金8万7455元( 約109万3000円 )を含む合計10万8606元( 約135万8000円 )を支払えというものであった。
 この承服し難い判決に怒り心頭に発した許雲鶴は速やかに上告した。 また、メディアの報道でこの判決を知った国民は 「転んだ老人を見ても助けるな」 という意識をより一層強いものとした し、インターネットの掲示板は許雲鶴に対する同情と支持の声で溢れた。




 2011年8月22日、許雲鶴の上告による2審の裁判が “天津市第一中級法院” で開廷された。 当日の法廷では、許雲鶴が1審判決の撤回を求めたのに対して、王秀芝は上告の却下を求め、双方の弁護士が意見陳述を行い、裁判官が双方に対して事実確認を行った後に休廷となり、日を改めて開廷することが宣言された。 国民は同裁判の動向に注目しており、全国のメディアは2審が開廷されたことを報じた。

 今後下される2審判決の行方が気になるところだが、中国語のネットニュースで報じられた写真を見る限りでは、正義感にあふれた感じの許雲鶴に対して、狡猾で意地悪そうな王秀芝が好対照をなしており、許雲鶴を応援したくなるのは致し方ないように思われる。 22日の開廷当日も、裁判所前に集まった民衆は王秀芝とその家族に罵声を浴びせたし、王の家族が呼び止めたタクシーの運転手も乗客が王秀芝だと知ると乗車を拒否して走り去ったという。

 一方、この許雲鶴事件の2審開廷の記憶がまだ冷めやらぬ9月6日に、中国政府 “衛生部” は合計45ページ( 目次3ページ、本文42ページ )からなる 『“老年人跌倒干預技術指南( 高齢者転倒時の技術ガイド )”』 を発表した。 『ガイド』 は、高齢者が転倒した際にはすぐに助け起こさずに、転倒の状況や症状に応じて処置することが必要であると提起した上で、意識不明や嘔吐などの症状がある場合の正しい処置方法を示したものであった。

 2011年11月1日の国勢調査によれば、中国には65歳以上の高齢者が1億1883万人いる。 1年間にその3割が転倒すると仮定すれば、3565万人もの高齢者が年に1度は転倒する計算になる。 衛生部によれば、ガイドは2年間かけて作成したもので、中国の社会的風潮を正そうという意図はなく、高齢者の転倒事故に備えた純粋に技術的なものであるという。

 しかし、このガイドが発表されるや、 「高齢者が転倒したらすぐに助け起こさずに」 と提起したことが大いに注目を集めた。 ポータルサイト “新浪網( sina.com )” の “新浪微博( 新浪ミニブログ )” は早速に 『ガイド』 が発表されたことを前提として 「貴方は老人を助け起こしますか」 というアンケート調査を9月6日から1カ月間の予定で開始した。

 当該アンケート調査の9月11日午後4時時点における中間集計は、回答者総数6878人で、【1】必ず助け起こす、ただし 『ガイド』 とは無関係:1386票( 20% )、【2】助け起こさない、 『ガイド』 は法律的保証ではない:2935票( 43% )、【3】何とも言えない:2537票( 37% )となっている。 この数字を見る限りでは、恐らく1カ月後の最終集計も各項目の得票比率にはさほど大きな違いは生じないことが予想される。




 中国の古典 『淮南子えなんじ・人間訓』 には、 “有陰徳者、必有陽報( 隠れた善行を積めば、必ず報いられる )” とあるが、転倒した老人を助けると、犯人扱いされて、報われないばかりか逆に損をするのでは、誰も好んで転んだ老人を助けようと思わなくなるのは当然の帰結である。 あるネットユーザーはこうした状況を踏まえて、掲示板に “做好事吃官司( 善行をすれば裁判沙汰になる )” と書き込んだが、これはまさに中国の嘆かわしい現状を反映しているものと言えよう。

 ある弁護士は今回の衛生部による『ガイド』の発表に関連して次のように述べている。
【1】  『ガイド』 の内容は転倒した老人の救助を人々が敬遠するのを助長させかねず、 『ガイド』 の発表は時宜にかなっていない。
【2】  老人が転倒したのを見たら、先ず大声で周囲の人々に知らせた上で次の措置を考えるべきである。 老人を助け起こすのであれば、老人に触れる前に倒れている老人の状況を写真撮影、録画、録音などにより記録し、現場の証拠を残しておくことが先決である。
 現場の証拠を残しておかないと万一の場合には危険だというのでは、誰も進んで転倒した老人を助け起こそうなどと考えなくなるのは当然であろう。 「彭宇事件」 や 「許雲鶴事件」 などの一連の事件では、 裁判所が老人の主張を尊重して加害者とされる人たちの有罪を推定した判決を下した。 その結果が、 中国社会の伝統たる “助人為楽( 人を助けることを喜びとする )” という美徳を根底から突き崩すことにつながった。

 「転んだ老人を見ても助けるな」 という悪しき風潮を改めることは容易なことではないだろうが、裁判所が高齢者優遇という通念を排して、事実を厳正に見極めて公正な判決を下すことで一歩ずつ改善を図ることが望まれる。 その意味では中国国民が注視している 「許雲鶴事件」 の2審判決の動向が気にかかるところだが、果たして許雲鶴は勝訴して彼の主張通り冤罪を晴らすことができるのだろうか。







 杭州市にある “西湖” は “人間天堂杭州西湖( この世の天国、杭州の西湖 )” と称される風光明美な湖であり、2011年6月に中国で41番目の世界遺産に登録された。 2011年10月13日の午後、その西湖では小雨が降っていたが、多くの市民や観光客が煙雨に霞む西湖の景色を楽しんでいた。 午後4時40分頃、1人の女性が西湖の岸辺から水中に身を投げた。 静寂を破る水音に驚いた周囲の人々が慌てて湖面に目をやると、入水した女性はたちまちのうちに岸から20メートルほどの所まで流され、体は水没して見えず、水上に長い黒髪が漂っていた。 しかし、周囲の人々はこれをただ眺めているだけで、救助しようという素振りを見せる者すらいなかった。




 すると突然に30歳位の外国人カップルが岸辺に飛び出して来た。 どうするのかと見ていると、外国人女性はあっと言う間に上着を脱ぐとキャミソール1枚になり、何ら逡巡することなく湖水に飛び込んだ。 彼女は達者な泳ぎで溺れている女性の所まで達すると、女性の衣服をつかんで岸辺まで泳ぎ戻った。 救助された女性は相当量の水を飲んでいたので、一時激しくせき込んで水を吐き出したが、すぐに意識を取り戻した。 これを確認した外国人女性は連れの男性と短く言葉を交わすと、上着を着て、名前を告げることなく、何ごともなかったかのように立ち去った。 この間、わずか10分足らず。

 この救助劇を目撃した人によれば、外国人カップルは米国人のようだったが、そのてきぱきとした動きとスマートな態度はまるで “武侠小説( 武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした小説 )” の “女侠( 女主人公 )” のようだったとのこと。

 この救助劇がメディアを通じて報じられると、人々は近頃まれな “見義勇為( 正義感に燃えて勇敢に行動する )” であるとほめたたえ、外国人カップルを捜し出そうと努力したが、結局見つからなかった。 なお、救助された女性は杭州市の管轄下にある富陽市の出身で、近頃、生活も仕事もうまくいかずに悩んでいたが、気晴らしをしようと西湖を散策しているうちに空しくなって思わず身を投げたのだという。

 それにしても、困っている人を見たら、間髪を入れずにこれを助け、名前も告げずに去って行くというのは、スーパーマン、バットマン、さらにはスパイダーマンといった米国のヒーローを彷彿させるものがある。 しかし、 “見義勇為” を中国伝統の心意気と誇っている中国人が、湖水に身を投げた人を見ても、 「触らぬ神にたたり無し」 と眺めているだけで救助しようとせず、これに代わって 「義を見てせざるは勇なきなり」 とばかりに “見義勇為” を実践したのは米国人の女性ヒーローであった。




 この救助劇からわずか30分後の午後5時30分頃、広東省佛山市南海区にある全国最大の “五金市場( 金物市場 )”、 “広佛国際五金城”<以下「五金城」> で、2歳の女の子がワゴン車と軽トラックによって2度もひき逃げされる事件が発生した。 被害者の名前は “王悦”、愛称は “悦悦( 悦ちゃん )”、つい数カ月前に幼稚園に通い始めたばかりの女の子であった。

 当日午後、幼稚園から戻った悦ちゃんはもうすぐ7歳になる兄と遊んでいた。 しかし、兄が遊びに出かけると、悦ちゃんは2階で洗濯物を取り込んでいた母親の目を盗んで外へ出た。 悦ちゃんの家は五金城内で店舗を営んでいるが、悦ちゃんは家を抜け出しては近所に住む同じ年頃の友達の所へ遊びにゆくことが度々あった。 その日もこっそりと家を抜け出た悦ちゃんは、両側に店舗が並ぶ幅5メートルほど道路を友達の家へと向かい、自宅から100メートル程の距離にある “新華労働保護用品経営部” という店の手前まで来た所で、前から走ってきた白いワゴン車にひかれたのだった。 後に同店の経営者はひき逃げ事件の発生には全く気づかなかったと述べている。

 最初のひき逃げ事件が発生したのは5時25分であった。 その時、悦ちゃんは道路の左寄りをよちよち歩いていたが、後ろを振り返りながら歩くうちに道路の真ん中に出てしまった。 ちょうどその時、前方から白いワゴン車がゆっくりと走って来たが、運転手は悦ちゃんには全く気づかない様子で、急に加速して悦ちゃんを巻き込み、右前輪で腰の部分をひいた。 車が何かを乗り越えた感覚に運転手は異常を感じたようで一時的に車を止めたが、すぐにアクセルを吹かすと右後輪で悦ちゃんを乗り越えるかのようにもう1度ひいて走り去った。

 頭を道路脇に、脚を道路中央に向けて横たわった悦ちゃんは、痛みに耐えるかのように微かに動いていた。 それから十数秒後に悦ちゃんの横を1人の男が通り過ぎたが、血を流して横たわる悦ちゃんには気づかぬ様子で通り過ぎた。 その後、バイクに乗った男が横たわる悦ちゃんを注視しながら通り過ぎ、続いて向こうから歩いて来た男が悦ちゃんを見ながら面倒を避けるように迂回して通り過ぎた。 不思議なことに誰も悦ちゃんを助ける素振りもない。




 これに続いて、前方から小型トラックが走ってきた。 運転手は悦ちゃんが目に入らないのか、速度を落とすこともなく、悦ちゃんの両脚を右側の前輪と後輪でひいて走り去った。 両脚をひかれたことで悦ちゃんは道路に大の字に横たわる形となり、体の回りには血だまりができた。 それからの6分ほどの間に、3輪貨物車の男が2人、バイクの男が3人、女の子を連れた中年女性など、合計15人が息絶え絶えの状態で横たわる悦ちゃんの横を通り過ぎた。 しかし、誰もが見て見ぬ振りで、悦ちゃんを助けようとする者も救急車要請の電話をかける者もいなかった。 そして、5時31分過ぎに19人目の通行人として向こうから歩いて来たゴミ拾いの老婦人が瀕死の状態で横たわる悦ちゃんに気づいた。

 肩にかけていた拾い集めたゴミの袋を路傍に置いた老婦人は、悦ちゃんに駆け寄って抱き起こしたが、ほとんど意識のない悦ちゃんの身体はぐにゃりとしていて倒れ込んでしまう。 悦ちゃんを抱き上げようにも老婦人は力がない。 仕方なく、老婦人は悦ちゃんを引きずって道路脇に移した。 それから老婦人は周囲の商店に向かって大声で誰の子供かと尋ねるが、誰一人としてこれに応じる者はいない。 老婦人は必死で子供の親を尋ね回るうちに子供を探す悦ちゃんの母親と出会い、母親を悦ちゃんの所へ案内する。 悦ちゃんの無残な姿を見た母親は悦ちゃんを抱き抱えると医者を求めて走り去り、悦ちゃんの靴を手にした老婦人がその後を追った。

 悦ちゃんは佛山市内の病院で後頭部の緊急手術を受け、その日のうちに広州市内にある “広州軍区総医院”<以下「総医院」> へ搬送された。 総医院のICU( 集中治療室 )に収容された悦ちゃんには医師たちによる懸命な救命治療が続けられた。 悦ちゃんの両親は悦ちゃんを救助した老婦人にぬかずいて感謝し、老婦人は母親とともにICU内の悦ちゃんを見舞った。 また、事態を重く見た広東省党委員会副書記も総医院に悦ちゃんを見舞い、悦ちゃんの両親を慰問すると同時に老婦人をたたえ、さらに医師たちに最善を尽くすよう指示した。 しかし、10月21日午前零時32分、医師たちの献身的な救命治療も及ばず、悦ちゃんは息を引き取った。 13日の事件発生時点から脳死に近い状態にあった悦ちゃんは、7日間にわたって生死の境をさまよい続けたが、1度も意識を取り戻さぬまま、あの世へと旅立ったのだった。




 ところで、このひき逃げ事件の一部始終は事故現場の道路に設置されていた監視カメラによってすべて録画されていた。 録画映像からひき逃げ車両を検証したところ、1台目のワゴン車のナンバープレートは光の反射で判読できなかったが、2台目の軽トラックはナンバープレートが確認できた。 交通警察は後者の車両所有者を特定して被疑者として召喚し、同人がひき逃げの事実を認めたので、事故当日の13日夜9時過ぎに逮捕した。

 一方、 「悦ちゃんひき逃げ事件」 はメディアを通じて全国に報じられ、悦ちゃんが2台の車にひき逃げされたばかりか、18人もの通行人が血の海の中に横たわる悦ちゃんを救助することなく無視して通り過ぎたことから、大きな反響を呼んだ。 テレビは監視カメラの映像を流し、瀕死の子供を見ても助けようともしない冷酷な人々に嘆き悲しみ、その非情さに憤り、中国人の誇りたる “見義勇為” はどこにいったのかと訴えた。 こうしてひき逃げ事件は中国全土で討議の的となったが、それが大きな圧力となり、逃亡していたワゴン車の運転手は事件発生から3日後の16日に公安当局に自首して事件は決着した。

 悦ちゃんを救助した老婦人は “陳賢妹”、年齢58歳、身長140センチ強、体重40キロ弱と小柄な体格である。 彼女は広州市の北にある広東省清遠市の出身で子供と一緒に佛山市で暮らしている。 午前中はある小さな会社で賄いとして昼食を作り、午後はゴミ拾いをして小銭を稼ぐのが彼女の日課である。 事件が発生した13日午後、陳賢妹は五金城の市場内を回ってゴミを集めていたが、路上に横たわる悦ちゃんを発見して救助しようと走り寄ったのだった。

 悦ちゃんのひき逃げ事件が報じられ、悦ちゃんを救った人物として陳賢妹の名が伝わると、何と心ない人々から 「売名行為」 であるとの誹謗がなされ、それがネットを通じて広く伝えられたのである。 この誹謗は悦ちゃんの母親によって打ち消されたし、ある企業からの報奨金の受け取りを拒否した陳賢妹の振る舞いなどで雲散霧消したが、救助した悦ちゃんの死去もあり、心身ともに疲れ果てた陳賢妹は故郷の清遠市に戻って休養を取るとのことである。 この 「誹謗」 についても中国のメディアは情けない同胞の振る舞いに怒りを表明している。




 さて、同胞を救助しない中国人に代わって外国人が “見義勇為” を実践して負傷者を助けた例はまだある。
【1】  2011年3月31日夜9時頃、上海の浦東国際空港で、日本に留学中の息子を迎えに来ていた母親が、一時帰国した息子と毎月送金している学費のことで口論となり、仕送り額が少ないと激昂した息子が荷物の中に持っていた果物ナイフで母親を9回にわたって刺すという事件が発生した<注>。 事件当時、現場付近には多数の旅行客や出迎えや見送りの人々がいたが、人々は倒れている母親を遠巻きにして見守るだけで、誰一人として母親を助けようとする人はいなかった。 しかし、そこを通りかかった1人のリュックサックを背負った外国人が母親のところに駆け寄って、大声で救援を要請しつつ応急手当を行った。 その後、もう1人のメガネをかけた外国人の若者が加わり応急手当を手伝った。 2人は救急隊員が駆けつけるまで母親に付添っていたが、母親を救急隊員に委ねると名前も告げずに立ち去ったという。 その後に判明したところでは、応急手当がなければ母親は助からなかった可能性があり、救助を主導した外国人は応急手当の訓練を受けた経験があったものと思われる。
<注>当該事件は故意傷害罪で逮捕された息子に対する裁判が進行中で、10月19日に “上海浦東人民法院( 裁判所 )” で開廷された法廷では、故意傷害罪とする検察側に対して、精神疾患の心神喪失による犯罪として軽い罪を要望する弁護側が意見陳述を行って結審した。 判決は間もなく下される見込みだ。 被告人の留学生は親から毎月送金される7000元(約8万8000円)だけに頼って日本で生活し、アルバイトをした経験も無かったということで、自立心のない甘えた精神の持ち主のようである。
【2】  2011年9月10日の午後2時頃、山東省済南市の明湖東路で、バイクに乗った男が前方を走る自転車に追突して、自転車に乗っていた中年女性が道路に投げ出された。 男はバイクから降りることもなく、地面に横たわる女性をちらっと見るとバイクのアクセルを吹かして走り去った。 この日は日曜日で明湖東路の交通量は多かったが、中年女性の横を走る車も通行人も誰一人として倒れている彼女を救助しようとするものはいなかった。 すると見かねた男性2人と女性1人の外国人グループが中年女性の下に走り寄り、中年女性を助け起こすと同時に彼女を病院へ搬送するために車に救援を求めた。 しかし、彼ら外国人が30分間も救援を求めたにもかかわらず、これに応える車は1台もなく、最後は傍を通りかかった警察車両に連絡することで、ようやく中年女性は病院へ搬送されたのだった。
【3】  ここに運び込むな、面倒が増えるばかりだ!
 悦ちゃんのひき逃げ事件が起こった日から2日後の2011年10月15日の午後2時頃、陝西省西安市の咸寧路の高速車線と低速車線の間にある狭い分離帯に1人の男が頭を低速車線にはみ出す形で倒れていた。 車道を走る車も歩道を歩く人もこの男の存在には気づいているし、男の頭が低速車線にはみ出していて危険なことは分かっているが、誰もが見て見ぬ振りで、我関せずを決め込んでいた。 そんな時にちょうどそこを通りかかった外国人の女性が、あまり流暢とは言えない中国語で 「あの人を救いましょう」 と周辺の人々に呼びかけたことで、男の救助が始まった。 ところが、分離帯から男を救出して近くの売店まで運ぶと、売店の店主から 「ここに運び込むな、面倒が増えるばかりだ」 と阻止されたのだという。 この記事は10月18日付の 「華商ネット」 がネットユーザーからの投稿を掲載したもので、現場で撮影した写真が証拠として添付されていた。 男は単なる酔っ払いだったという説もあるし、救助された男がどうなったかについてもこれ以上の記載はない。 しかし、ネットユーザーが言いたかったのは、悦ちゃん事件の直後でも中国人は依然として困っている人に無関心で、外国人に言われないと救助活動を始めないというのは嘆かわしいだけでなく、そうした姿勢は中国人の恥をさらしているように感じるということである。

 中国では転倒した老人を助けた結果、逆に老人から転倒させた犯人として告発されて、医療費や慰謝料を請求される事件が多発している このため、 「転倒した老人を見ても助けるな」 という社会通念が形成され、転倒して身動きできない老人が長時間放置されて死亡するケースまで発生している。

 この主たる原因は中国における高額医療費にある。 少ない年金に頼って暮らす老人たちにとっては、転倒による負傷に対して高額な医療費を負担することは難しく、かといって子供に負担させれば迷惑がかかるので、 “見義勇為” で助けてくれた赤の他人に責任を負わせて医療費を負担させようとする者が大部分と推測できる。 何とも浅ましい老人たちだが、こうした不心得者がいるために、すべての老人が同一視されてしまっていることは悲しい限りである。




 一方、悦ちゃん事件で悦ちゃんの悲惨な姿を目にしながら、救助せずに通り過ぎた冷酷な人々は、他人のことに関わり合うのは面倒だと見て見ぬ振りを決め込んだものだろう。 どっぷり拝金主義に染まっている人々にとっては、カネにならないことは興味の対象とはならないのである。 事件後にメディアが当事者たちを追跡して取材した結果は、彼らの大部分が、 「見なかった」、 「気づかなかった」 と明らかに虚偽の弁明をし、子供連れの中年女性は 「怖かったので逃げた」 と述べている。 結論的に言えば、 「他人事に関わって、面倒に巻き込まれるのはごめんだ」 の一言に尽きるのである。

 中国も時代が流れ、経済が発展するにつれて、人々が貧しい時代に共有していた相互扶助の精神が失われていっているのだと思うが、中国人が誇りとしていた “見義勇為” の精神だけは失わないで欲しいものである。 1966年から1976年まで続いた “文化大革命” は、 「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生する」 という名目の下、中国の古き良き精神文化までも破壊した。 その時代に青春時代を送った人々が親となり、現在はその親に教育を受けた子供たちが社会の中堅となっている。 だからこそ、今の中国には “見義勇為” を含む倫理観が欠如しているのであり、道徳教育を通じて人々に相互扶助の精神を植えつけることが必要なのである。 考えてもみてほしい、上述した “見義不為、無勇也義( 義を見てせざるは勇なきなり )” は 『論語・為政編』 の言葉!





( 2012.12.23 )

 


救急車を邪魔する、緊急車両通行用車線を走行する一般車両
 2012年12月22日、重慶晨報は記事 「重病の赤ちゃんを救うために走ったパトカー、高速道路で誰も道を譲らず」 を掲載した。

 18日、重慶市巴南区の高速道路料金所で、警察官の王翔ワン・シャンさんは一組の夫婦に話しかけられた。 女性の胸には小さな赤ちゃんが抱かれている。 その赤ちゃんが重病にかかったため、一刻も早く市内の病院にいかなければならないという。

 涙ながらに頼む夫婦に王さんは快諾。 サイレンを鳴らしパトカーを走らせた。 が、折悪しく拘束は渋滞。 しかもサイレンを聞いても誰も道を譲ろうとはしない。 そればかりか緊急車両通行用の路肩部分まで車がびっしり埋まっていた。

 渋滞さえなければ普通の車でも30分あれば十分つく距離だと言うが、結局、到着まで40分がかかった。 到着時、すでに赤ちゃんに命の兆候はなく、必死の救命治療が続けられたが、その晩に死亡を診断されたという。

 今月7日、北京市でも同様の事件が起きたばかり。 救急車のサイレンを聞いても誰も道を開けようとはせず、 「中国人の道徳はどこに消えたのか」 と嘆く報道が相次いでいる。 その矢先に繰り返された悲劇となった。