中国“遺棄化学兵器”問題
  政府は早急に
     新資料の調査を行うべきだ



 中国“遺棄化学兵器”問題で、中国側の主張を覆す可能性のある新しい資料が見つかって、約半年になる。 シベリア史料館にあった約600冊の兵器引継書などについて、政府首脳は 「 しっかりと調査したい 」と国会で明言したが、詳しい調査・分析はその後、遅々として進んでいないようだ。 かつて、陸自化学学校教育部長を務め、初期のころからこの問題にかかわってきた、倉田英世氏は、 「 ( 新資料が見つかった )今こそ詳しい調査をやらなければ、ずっと “中国の言いなり” になったままになる 」と指摘している。

スケープゴートにされた日本

―― 内閣府遺棄化学兵器処理担当室が出している資料によると、1987年6月のジュネーブ軍縮会議において、中国が、遺棄化学兵器に関する遺棄国の責任について初めて発言をした、とあります。 「 化学兵器禁止条約 」( 1997年4月発効 )には当初、遺棄兵器に関する条項はなかった。 それを盛りこむことを求めたのは中国でしたね。
倉田 化学兵器禁止条約はもともと、アメリカがベトナム戦争でベトコンをジャングルから追い出すために使 ったもの( 擾乱剤や枯れ薬剤など )が国連で問題になり、化学兵器や生物兵器を禁止する条約を作ろう、という趣旨で始まったものです。 1972年にまず、生物兵器を禁止する条約ができ、その後、化学兵器、毒素兵器を一本にして協議が始まりました。
その中で、遺棄兵器に関する条項を入れることを求めたのは中国に間違いありません。 1990年に中国から正式に 「 旧日本軍が中国に遺した化学兵器で国民が被害を受けている 」と通告を受け、95年1月に 「 同年中に中国側と処理手順を詰め、翌年以降できるだけ早い時期に処理作業を進める方針を固めた 」と日本政府が発表した。 軍縮会議では92年2月に中国の代表が、日本と名指しするのは避けましたが、 「 ある外国が、中国に残した化学弾のうち、中国は30万個を処理した。 しかし、まだ200万個が未処理である。 また、20万トンのマスタードガスを処理したが、100トンが残っている。 被害者は2000人に上っている 」と発言しました。 中国は軍縮会議に参加する段階から中国に残っている化学兵器を日本に処理させようと明確な戦略を持っていたのです。 このときの発言をめぐっては、日本のマスコミが化学剤の100トンを誤って100万トンと伝えたために、実際の1万倍の数宇になってしまうというおまけまでつきました。
  
※ 化学兵器禁止条約では、 「 遺棄化学兵器 」について、1925年1月1日以降に、いずれかの国が他の国の領域内に当該、他の国の同意を得ることなく遺棄した化学兵器( 老朽化した化学兵器含む )と定義し、締結国は①この条約に従い、自国が所有し、もしくは占有する化学兵器または自国の管轄下にある場所に存在する化学兵器を廃棄することを約束する②この条約に従い、他の締結国の領域内に遺棄したすべての化学兵器を廃棄することを約束する③遺棄締約国は、遺棄化学兵器の廃棄のため、すべての必要な資金、技術、専門家、施設、その他資源を提供する。 領域締約国は、適切な協力を行う―となっている。
―― 中国が遺棄兵器の問題を持ち出したとき、欧米諸国の反応はどうでしたか。
倉田 当時の軍縮会議は、西側諸国と東側諸国、そして非同盟諸国に分かれていました。 この問題を中国が持ち出したとき、西側諸国が日本にその案をのむように求めたようです。 結局、化学兵器禁止条約に中国を引っ張り込むために、日本は“スケープゴート”にされたようなものでしょう。 その言いなりになって、すべて承認してしまったときの政権や官僚にも責任はあります。
―― そのときに日本がしっかりと調査をして、反論をしていれば、中国“遺棄化学兵器”問題なんて、起きなかったということですね。
倉田 そうですね。 外務省がしっかりとした実態調査をやる方針を固め、旧軍でこの問題にかかわった人たちに、口を開く機会を与えてくれていれば、少なくとも( 中国が主張する ) 「 200万発、100トン 」というような大きな数字の話にはならなかったと思います。
―― 日本政府には調査を行う考えがなかったのでしょうか。
倉田 実は、田中角栄内閣のころに、日本国内の遺棄化学兵器が問題になったことがあります。 そのときも政府は詳しい調査をせず、報告書も作成されなかった。 ずっとウヤムヤにされてきたのです。 そうしてきたツケが いま回ってきた、といえるでしょう。
繰り返しになりますが、中国は最初から、 「 日本を引きずりこんで、いかに資金を絞り取るか 」という明確な戦略を持って化学兵器禁止条約に参加しましたが、一方の日本は何の戦略も持たず、中国の要求に従ってしか行動できなかったのです。


関与を渋った各省庁

―― 処理事業に着手するとき、日本政府内に化学兵器に関する専門家がほとんどおらず、積極的に関与しようという省庁がなかったそうですね。
倉田 その当時、政府が、陸上自衛隊の化学部隊の存在を認めていない、という立場を取っていたからです。 そこにはもちろん専門家がいたわけですが、組織が公にされていないため、おおっぴらに参加させることができません。 だから、防衛庁に話が来ても、 「 専門家がいないので分からない 」と答えていたようです。 結局、積極的に関与したがる省庁はなく、調査の段階は外務省が、処理については総理府( 当時、現内閣府 )が担当することになり、平成11( 1999 )年、総理府に遺棄化学兵器処理担当室が設置されたのです。
―― 陸自の化学部隊を公にできなかったのは、周辺諸国の反発を恐れたからですか。
倉田 他国をあまり剌激したくないという考えはあったと思います。 政府は国会で追及されても、ずっと化学部隊の存在についてあいまいな答弁を繰り返していましたね。 実はこの化学部隊が正式に“認知”されたのは、平成7年の地下鉄サリン事件のときです。 それまではまあ公然の秘密でしたが、公式的には、存在しないことになっていました。
―― 具体的・技術的な処理要項は、 「 処理技術検討調整会議 」で検討されましたが、その委員には自衛隊の専門家は入っていたのですか。
倉田 入っていたようです。 処理担当室には当初は1人、現在は2~3人、自衛隊の専門家が出向しているようですね。
―― この会議では、本来、化学兵器禁止条約の対象になっていない 「 あか剤 」( くしゃみ剤・嘔吐剤 )などを、処理対象に含めるようにしたそうですね。
倉田  「 あか剤 」などは、確かに致死性は低いものですが、大量に使用すれば、死亡することがあります。 私自身の考えでは、こうしたものも、日本が捨てたものであれば、処理すべきだと思います。
―― ではなぜ、 「 あか剤 」などが化学兵器禁止条約の対象になっていないのでしょうか。
倉田 日本では安保騒動のとき以外は使われていませんが、( こうした化学剤は )暴動やデモの鎮圧のときによく使用されるため、条約には入れたがらない国が多かったのでしょう。 こうしたものは、普通に使う分には、後遺症は残らないが、大量に使用すれば、死亡者が出たり、被毒者から奇形児が生まれるような危険な場合がある。 中国が遺棄化学兵器として主張しているものの多くは、 「 あか剤 」などが使われた弾薬です。
――  『 正論 』10月号で、化学兵器を引き渡したと証言した旧軍兵士の方が持っていたのは通称 「 ちび 」という兵器でした。
倉田 これは青酸ですから、 「 あか剤 」などと比べると、強い有毒性があり、致死性は高い。 多勢に無勢の中国戦線において、1人で戦車をやっつけられるという触れ込みでした。 早い時期からあった兵器だと思います。


国内の処理は 「1発3000万円」

―― 北海道の屈斜路湖で、遺棄化学兵器の処理作業が行われたことがありましたね。
倉田 この作業には、オランダのハーグにある化学兵器禁止条約事務局から査察官がやってきて、立ち会いました。 最後に2発だけを残して、査察官に見せたのです。
―― このとき処理された化学兵器は26発でした。 どんな種類のものだったのですか。
倉田 有毒性の高いものが多かったようですが、中にはマスタードガス( びらん剤 )を使ったものもありました。
―― このときの処理費用は総額で8億円かかったとされています。 26発でそうですから、1発に換算すると、約3000万円になってしまいます。 あまりにも高すぎませんか。
倉田 作業の安全性を考えて、いろんな防護装備を作ったのだと思います。 だから、もっと発数が多くても、同じぐらいだったでしょう。 「 1発=3000万円 」なる数字が独り歩きすると困ります。
―― この数字を中国が主張している 「 200万発 」に当てはめると60兆円になってしまいます。
倉田 もちろん、そんなにかかるはずはありません。 メディアが 「 1発=3000万円 」という数字を使うと 困りますね。
―― こうした処理事業は、特定の企業がやっているケースが多いようですが、処理には特殊な技術や専門性が必要なのですか。
倉田 極めて高い特殊性があるとは思いません。 極端な話をすれば、化学メーカーの中には、もっと有毒性の高い物質を扱っているところもありますからね。 ただ、半世紀以上もたって毒性が変化していたり、弾がさびて いて扱いが難しく、危険性が高いことは確かです。 ほかにやりたいという会社があまりないのではないのでしょうか。
―― 中国での処理作業は、当初、日本が責任を持って行うということでしたが、現在では日中共同体という話になっています。
倉田 どうしてそんな方向になったのでしょうか。 条約では、日本が責任を持ってやることになっています。 中国では、明らかに外国製の化学兵器も見つかっているといわれています。 建前では、日本製のものだけを処理 することになっていますが、果たして、データとしてきちんと把握されているのか。 極めてあいまいなためだと思います。


新資料は専門家が精査すべきだ

―― この問題解決のために倉田さんは4つの方向性を提示されている。 ひとつは、当時、化学兵器にかかわった旧軍関係者の方が口を開いてもらうこと、だとしていますね。
倉田 旧軍関係者のほとんどの方が80歳以上になっていらっしやると思います。 でも、ご高齢だからこそ、日本のために、本当のことを言い残していただきたいと思うのです。 例えば、化学兵器を持っていた部隊の終戦時の配置が実際に分かれば、中国側が主張している発掘場所についても反論できるケースも出てきます。 旧軍が駐屯していた場所からあまりにも離れた場所から 「 遺棄兵器が出た 」と中国側が主張しても、 「 それはおかしいでしょう 」と言えるからです。
―― 2番目には、政府はアメリカやオーストラリア、ロシアの公文書館にあるであろう武装解除に関する資料を探し出し、実態調査すべきだと。
倉田 そうです。 終戦時、日本軍は極めて正直に報告書を出していたと考えられるので、武装解除を行ったこれらの国には必ずそうした資料が残っているはずです。 シベリア史料館に600冊が眠っていたようにね。 政府がそうした国に職員を派遣して、徹底的に調べさせるべきだと思います。 処理事業にこれまで900億円以上も使っているのですから、外国に職員を派遣するぐらい何でもないじやないですか。
―― これまではそうした資料を調べるつもりも意欲もなかった。
倉田 中には、資料の調査を行った人もいます。 実際、防衛庁からは外務省へ3回ほど、かなりの資料を渡しているはずです。 しかし、そうしたものが実際の政策や中国との交渉にいかされたフシはありません。 ( 『 正 論 』9月号で報じた ) 「 あか筒 」などの化学兵器を引き渡していたことを記した台湾の引継兵器目録だって、資料の存在は知っていたはずですよ。
―― 倉田さん自身も平成16年に外務省の委託を受けて、聞き取り調査を行っていますね。
倉田 中国側から 「 日本の情報も出せ 」と言われたので、調査を行うということでした。 半年以上かけて、聞き取り調査を行いましたが、( 化学兵器を )捨てたという人もいれば、引き渡したという人もいました。 証言の信憑性は高いと思っています。 ただこの調査結果が生かされたか否かはうかがっていないのでわかりませんね。
―― シベリア史料館の600冊の兵器引継書などの調査はあまり進んでいないようですね。
倉田 600冊もあるのですから、私たちのような専門家が詳しく調べて、分析すれば、いろんなことは分かると思います。 武装解除での引継書を見ると、紙1枚まで細かく記してあるのですからね。 せっかく新しい資料 が見つかったのですから、徹底的に調べるべきなんです。 分からないことが多いからこそ、やるべきなんで す。 いまそれをやらなければ、永久にチャンスは巡ってこないでしょうね。 元のもくあみです。 今からでも遅くないのでぜひとも政府としてしっかりと調査、分析を行うシステムをつくってもらいたい。 あとは 「 やる 」という意識の問題です。
―― システムとは?
倉田 専門家による調査のチームをつくることです。 外務省の担当課や内閣府の処理担当室は、そうした調査を行う人員を出すような態勢にはなっていないからです。 ただ、そうした調査をしっかりと行える専門家は、それほど多くはいないでしょうね。


改めて中国と交渉する勇気

―― 3つ目として、外交ルートを通じて中国と改めて交渉する勇気ある行動が取れるか否かと。
倉田 合意文書までできて事態が進展しているのですから、とても難しいことだと思います。 中国との合意文書を破棄できる、という人もいますが、現状を見ていると日本がとてもそんなことができる雰囲気ではありません。
でももし、日本政府が国家の将来を考えているなら、真剣にやるでしょう。 やらないというのなら、国家の将 来を考えていないということでしょうね。 また、中国との関係がよくなる、悪くなるという次元の問題でもありません。 たとえ結果的に関係が悪化しても、やらなければならないことは、やるべきだと思うのです。
―― 第4として、この問題に対して、過去、責任あるべき地位にあって、日本にとって不利な対応をしてきた人の責任問題 を挙げていますね。
倉田 そうです。この問題をあいまいなままにして、国民に対して口をつぐみ、くわしい調査もしてこなかった政治家や官僚は国家国民に大きな損害を与えるのですから、責任を取る義務がある と思います。その最大の責任は村山内閣にある でしょうね。
結局、日本政府は先を見越した対応ができなかった。 中国の要求に基づいてしか行動できなかったのです。 そ の結果、巨額な予算を使うことになってしまった。 国民に対して 「 申し訳ない 」と頭を下げるべきだと思います。


 倉田英世氏 昭和10( 1935 )年、長野県生まれ。 防衛大学校卒( 二期 )。 33年、自衛隊入隊。 技術研究本部で防護マスクなどを担当。 陸自化学学校教育部長、幹部学校第四戦術教官室長を経て、平成元年退官。 陸将補。 拓殖大学、神田学院客員講師、外務省参与、国連特別委員会委員などを歴任。 現在、日本郷友連盟総合研究所長。 著書に 「 核兵器 」( 教育社 ) 「 人類の滅亡と化学戦争 」( ヒューマンドキュメント社 )など。 平成16年には、外務省委託調査として 「 中国遺棄化学兵器の所在に関する聞き取り調査 」の報告書をまとめた。