“遺棄化学兵器”は
  中国に引き渡されていた
     ~ 残っていた兵器引継書 ~



シベリア資料館に所蔵されている旧日本軍兵器引継書の一部。 実数は支那派遣軍の各軍及び直轄師団の全てを網羅し、約600冊に上がる。
( 以後、全ての写真はクリックで拡大 )
 私がこの史料を発見したのは山形県にある全国抑留者補償協議会( 全抑協 )の 「 シベリア史料館 」 であった。 全体で600冊にも及ぶ膨大な量の 「 旧日本軍兵器引継書 」 が永年、段ボール24箱の中でほこりにまみれて眠っていたのである。 それは、平成7年に死去した斎藤六郎・元全抑協会長が1990年代に、ロシア各地の公文書館などから、合法的に日本へ持ち帰ったものであった。
 そこには、旧日本軍が中国全土で、終戦直後に、整然と武装解除に応じ、“何の例外もなく”中国側へと引き渡したことが記されている。 もちろん 「 化学弾 」 も例外ではない。 日本政府はこれまで、こうした史料は見つかっていない、としていた。 そして、今年2月には政府の責任者が、史料が出てきた場合には、 「( 中国の遺棄化学兵器処理の )基本的な枠組みが変わってくる」 と国会で明言している のである。
 日本側が負担する遺棄化学兵器処理の費用は 最終的に1兆円 に達する、という見方もある。 今回、発見された史料は 「 旧日本軍が化学兵器を切り離して遺棄した 」 という、とんでもない主張を覆す端緒に間違いなくなるであろう。 そして、最終的には“中国の国家的詐欺”にとどめを刺すに違いない。



中国の排日・抗日を増長させた日本の軟弱外交

 3月30日、橋本龍太郎元首相を団長とする政財界を中心とした7団体の“朝貢使節団”が北京を訪問した。 そして、“朝霞使節”一行は“赤の皇帝”胡錦濤国家主席に拝謁して 「 日本の指導者が靖国神社参拝をやめれば首脳会談を行う 」 との尊大な 「 おことば 」 を押し戴いて来た。 しかし、その時誰一人として席を蹴ったとは報道されていない。 この様な、日本の指導者達の無定見な朝貢のくり返しが、戦争を誘引する原因になることを歴史から学ぶべきなのである。
 現在と同じように、日中間の貿易額が日米の貿易額を上回っていた頃の昭和2年、国民党軍の北伐中に南京で起きた排外暴動は、外国の領事館、居留民団を襲い、虐殺、暴行、掠奪のかぎりを尽くした。 被害にあった米・英・仏の軍艦は、南京城内に艦砲射撃をして鎮圧した。 しかし、日本の駆逐艦は政府の命令により隠忍自重したのである。
 そのことで、結果的にますます中国人に軽侮されることになり、日本人にたいする暴虐はエスカレートしたのである。 在留邦人は全員暴行、掠奪をうけ、あるものは殺害された。 そして、領事夫人は数十人で輪姦され、避難していた三十数名の婦女は少女にいたるまで凌辱された。 それが戦前我が国で認知されていた 「 南京事件 」 である。
 その後、日本人居留民にたいする虐殺は、昭和3年5月の済南事件がある。 同事件に立ち会った佐々木到一氏の手記。
 「 ……邦人に対して残虐の手を加え、その老壮男女16人が惨死体となってあらはれたのである。 予は病院に於いて偶然その死体を実見したのであるが、酸鼻の極みだった。 手足を縛し、手斧様のもので頭部、面部に斬撃を加え、あるいは滅多切りとなし、婦女はすべて陰部に棒が挿入されてある。 ある者は焼かれて半ば骸骨となっていた。 焼け残りの白袋で日本婦人たることがわかったような始末である。 ( 以下略 ) 」
 このように続発する虐殺がくり返していたにもかかわらず、日本政府は事なかれ主義をとり続け、ほとんど抗議も行わない軟弱外交によって、中国の排日、抗日運動を増長させた。
 その状況は、昭和12年7月29日に暴発した通州事件( 中国保安隊と暴民が、掠奪、暴行のあげく婦女子をふくむ日本人二百数十名を済南事件と同じように大虐殺 )まで続いた。
 日支事変は経済権益を優先させた日本政府の事なかれ主義に大きな原因があったのであり、邦人の生命と財産を守ることが発端なのであった。
 中国人は、今も昔も日本人が反撃( 反論 )なしと見るとますます尊大になるのである。 今回の“朝貢使節”一行が、胡主席の暴言にたいして全員席を蹴る気概を見せていたのなら、日中間の政治状況は劇的に変化していたであろう。 しかし、謀略にたけている中国は、使節団一行を徹底的にチェックしているのであり、すべて計算ずくの行動なのである。御一行の団長には、 「中国人女性との問題」、 経済人には 「経済権益」 で押さえつけることのできる人物をピックアップして 「謁見」 しているのである。
 昨年4月、北京、上海などでの官制反日暴動後の5月、私は外務省中国課を取材した。 「 あれだけ大使館、領事館が被害を受けても、公式に謝罪しない中国にたいして、現状回復をするまで、中国課の中で中国へのODAを凍結するとの文言が会議などで話し合われたか 」 との質問に 「 そのようなことはまだ…… 」 との回答であった。 これが、在上海日本領事館員の自殺問題をふくめ、外務省の現状なのである。



またしても、朝日が火をつけた 『遺棄化学兵器問題』

 日中間の歴史認識問題を象徴する 「 首相の靖国神社参拝 」 問題及び 「 南京大虐殺 」、 「 従軍慰安婦強制連行 」、 「 遺棄化学兵器 」 問題は、すべて朝日新聞が仕掛けた反日謀略 である。
 その歴史認識問題の中で、直接税金を中国に毟り取られている問題が 「 旧日本軍遺棄化学兵器処理費用 」 である。  日本政府は、平成12年以降、同処理費用に970億円を投じている。中国の要求通り処理費用を拠出すると1兆円をこえるとも言われている。 中国の要求が法と正義に基づいた正当なものであれば、日本の責任に於いて処理することにたいして、国民の誰一人として反対するものはいないであろう。
 我が国で化学兵器問題が大々的に報道されたのは、昭和59年6月14日付の朝日新聞一面トップ 「 イペリットなどの毒ガス日本軍が使っていた 」 が最初である。 そして、同6月22日付朝日社会面で、中国が旧日本軍の毒ガス使用を初めて報道したことを記事にしている。 その中で、 『 論評抜きで新華社 』 との見出しで 「同電の主な内容は次の通り。 ▽朝日新聞の報道によると ……」 と、朝日は自ら記事の中で化学兵器問題の火付け役が朝日と告白しているのである。
 その朝日は、戦前中国の毒ガス攻撃を報道している。
 昭和12年10月20日付
 『 毒ガス弾下を衝く=人馬・マスクで進撃 』
 昭和12年12月12日付
 『 不法! 毒ガスで逆襲 』 の見出しで、 「 この夜襲戦で断末魔の敵はいよいよ本格的毒ガスを以て抗戦し来れること明らかとなった 」 とある。
 中国が非公式に 「 遺棄化学兵器 」 の解決を要請して来たのは、海部内閣時代の平成2年である。 朝日が化学兵器問題を取り上げてから、中国が 「 遺棄化学兵器 」 の解決を要請してくるまでの6年間は、日本側に反証できる歴史資料が実在しているかどうかの調査期間だったのであろう。 そして、中国が公式に 「 遺棄化学兵器 」 の廃棄責任は、日本にあると表明したのは平成4年4月であった。 その後、日本の対応をはかりながら官民一体となって 「 政治カード 」 に仕上げていくのである。
 そもそも、日本の中国に対する戦争賠償は 「日中共同声明」 によってすべて解決済みである。 それが、現在問題となっているのは、我が国が平成7年に批准した 「 化学兵器禁止条約 」 を知ることが必要である。 この条約は 「 自国が所有し若しくは占有する化学兵器 」 の廃棄を義務づけたものであるが、当初 「遺棄化学兵器」 の廃棄に関する条文は入っていなかった。
 その条文を入れることを中国がこだわり、強く主張して 「他の締約国の領域内に遺棄した化学兵器」 の廃棄義務が付け加えられたのである。 そこが、中国の校滑な罠だった のである。 さらに、外務省は原理原則を主張することなく、日中共同声明の無力化につながる行動を取った。 それが平成11年に日中間で締結した 「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」である。

         ◇
第一項 中華人民共和国( 以下中国 )国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認した。 旧日本軍のものであると既に確認され、及び今後確認される化学兵器の廃棄問題に対し、日本国政府( 以下日本 )は 「 化学兵器禁止条約 」 に従って遺棄締約国として負っている義務を誠実に履行する。
第二項日本は( 中略 )遺棄化学兵器の廃棄のため、すべての必要な資産、技術、専門家、施設及びその他の資源を提供する。
第三項日本は( 中略 )中国の法律を遵守し、中国の領土の生態環境に汚染をもたらさないこと。 ( 以下略 )
 
第五項廃棄の過程で万一事故が発生した場合には、( 中略 )日本側として必要な補償を与えるため、双方が満足する措置をとる。
 
         ◇
 この覚書は、第一項がら第八項まであるが、すべて中国側に有利であるばかりか、 「 旧日本軍が遺棄したと認められる場合 」 との、日本が最低限入れるべき条件がどこにも入っていない のである。 そして、第一項に 「 旧日本軍のものであると既に確認され 」 とあるが、これでは旧日本軍が遺棄しなくても処理すると解釈できるのだ。 この覚書の趣旨は、事実確認以前に 「 まず中国への補償有りき」 に終始しているのである。 平成7年の 「 化学兵器禁止条約 」 の締結と平成11年の 「 日中覚書 」 の締結を待っていたかのように中国各地で遺棄化学兵器の被害が報道されるようになった。
 それは、中国へのODAが終了しても、中国が正当性を装って 「 カネ 」 を引き出す 「 政治カード 」 として、中国政府のシナリオに基づき、日本の外務省との 「 日中合作 」 で作られたものである。 日本国外務省は、呼称を 日本国害務省 と変えていただきたい。 さもなければ内閣府に統合することも一案である。



すべて中国側の言いなり

 今回、確認した支那派遊軍の旧日本軍兵器引継書には、各軍、直轄師団すべてを網羅して、その中に数千名の受者( 中国人 )の署名、捺印が記載されているのである。 それは、中国の要求する根拠を、根本から崩すものである。 それをふまえて、 「 化学兵器禁止条約 」 を批准した時の河野洋平外務大臣以下、外務省の官僚が、いかに中国政府の手先のような行動を取っていたかを検証してみる必要があるだろう。
 検証を進める前に、昭和20年当時の化学兵器に関する国際条約を見ると、ハーグ宣言条文 「 使用ヲ各自二禁止ス 」 と陸戦法規条文 「 毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト 」 があった。 これらの国際条約は、 「 使用 」 を禁じたのであり、各国軍隊の 「 保有 」 を認めていたのである。 主要国は化学兵器を保有していた。 また、ハーグ宣言では、敵が化学兵器を使用した場合には化学兵器による報復を禁止していなかったのである。 旧日本軍が化学兵器を抑止力として、保有してい たことは、国民を守る為であり、なんら恥じる必要のないことなのだ。

         ◇
衆議院外務委員会( 平成10年4月10日 )要約
松沢成文委員  「 昭和20年9月2日に日本国政府は、降伏文書に調印し( 中略 )陸海軍は同日( 中略 )降伏文書及び一般命令第一号に基づいて全軍に対して降伏命令を発した。 ( 中略 )
一、敵対行為を直に終止し、武装を解除し且現態勢の変更を中止す。
二、兵器及装備を関係聯合国指揮官の指定する時期及場所に於いて現状の侭且安全良好なる状態に於いて該指揮官又は其の指定者に交付す。 ( 中略 )
支那軍総司令官は中国国民党軍ですね、( 中略 )まず、この点の事実関係について外務省、把握していたら御説明をいただきたい( 以下略 ) 」
阿南惟茂政府委員 
(外務省アジア局長)
「 ……通常の兵器、装備等につきましては、基本的に御指摘のように連合軍最高司令官一般令書第一号によって行われたものと考えております 」
松沢成文委員  「 ……ここで言う武装解除というのは具体的にどのようなものか( 以下略 ) 」
阿南惟茂政府委員  「 ポツダム宣言第九項で、( 中略 )どのような方法によるか等、武装解除の詳細については一切言及がないことから判断いたしましてもこの規定は一般的な意味で武器を放棄すべきことを述べた趣旨である( 以下略 ) 」
松沢成文委員  「 ……中国が本件の化学兵器の遺棄に関して化学兵器禁止条約に言う同意を与えたとは言えないとしているのですね。 ( 中略 )すべて中国側あるいはソ連側に移ったのじやないか( 以下略 ) 」
阿南惟茂政府委員  「 ……中国側は同意をしていないわけでございますが、( 中略 )ポツダム宣言第九項の規定をもって、中国が本件化学兵器を他の兵器弾薬とともに引き取ることに対して同意したということは言えないと考えます( 以下略 ) 」
松沢成文委員  「 ……中国は旧日本軍から引き渡しを受けた膨大な量の武器弾薬の中から化学兵器のみを旧日本軍に遺棄させ残りの武器弾薬のみを接収した、こういうふうに考えるのでしょうか 」
阿南惟茂政府委員  「 ……これらの化学兵器、砲弾が終戦当時、通常の武装解除に基づいて、ソ連軍ないし中国軍に引き渡されたものとは認められないと言わざるを得ません。 そういう判断でございます 」
※平成17年11月11日付産経新聞
 『 通常弾も大量混在 』
 「 日本側の現地調査では、処理対象とならない普通の砲弾など相当交じっており、処理対象となる化学兵器の数は不明 」 とのこと。 この事実は、化学兵器をふくむ通常弾などが渾然一体に引継が実施されたことのなによりの証拠である。 今回、発見した大量の兵器引継書の通りなのである。
松沢成文委員  「 ……現地調査とともに、例えば旧日本軍のこういう化学兵器の製造並びに使用にかかわった方々からの聞き取り調査とか、そういうことも同時並行でやられているのですか( 以下略 ) 」
阿南惟茂政府委員  「 こういう兵器の砲弾の性格ということもございますので、積極的に聞き取り調査とい今ようなことは行っておりません( 以下略 ) 」
※外務省は、聞き取り調査をしていないとのことであるが、中国側の言い分を補足できそうな、 「 サヨク 」 のシンポジウムに招待されているあやしげな旧軍人の証言は、重要視しているのである。
若生重作氏の証言 「 516部隊は秘密部隊であったから、終戦以前にチチハルから撤退を開始し、二昼夜をかけてハルピンに着いた。 ハルピン駅についたのがちょうど8月15日の昼であった( 中略 )われわれは先遣隊で、13日の朝から、毒ガス缶などすべてを嫩江と呼ばれる大河に投げ込んだ。 それは命令であった…… 」
( 歩平著 『 日本の中国侵略と毒ガス 』 明石書店、1995年発行 )
 しかし、 『 陸軍北方部隊略歴 』 によると、昭和20年8月13日は 「 沼田中佐を長として第四野戦化学部を編成( 約30名 )し第四軍に配属。 同日主力は関総作命第二〇号により朝鮮、江界に転進のため矢島少佐以下約40名を残務整理のため残置し、関東軍化学班( 筆者注・関東軍化学部は第四野戦化学部も含んでいた。 通称満516部隊である )を編成し斉々吟爾チチハル出発 」 となっており、仮に大河に投げ込む業務であれば残置されたもの達の仕事であろう。 また、同略歴には 「 第四野戦化学部( 筆者注・516部隊 )は8月15日馬家屯に集結、8月17日吟爾浜ハルピンに移動、( 以下略 ) 」 と記載されている。 終戦の8月15日の行動もあやふやな若生氏の証言には、信憑性がない。
松沢成文委員  「 ……日中両国政府は処理作業に中国人民解放軍を正式に参加させる方向で原則合意した。 ( 中略 )この事実関係はどうなっているのか( 以下略 ) 」
阿南惟茂政府委員  「 これまで現地調査のために人民解放軍が協力してくれている。 これに対して対価として支払っておりますめは、実費でございまして、まさに常識の範囲内ということだと思います 」
※平成17年10月31日付産経新聞
 『 中国要求丸のみ巨額化 』
 「 2LDKでプールなどの施設が併設される豪華版となる 」 とのこと。 そして、用地造成に伴う森林伐採で中国が要求した代償は 「 シラカバ1本100ドル 」 。 しかし、シラカバは製紙用以外に用途がなく国際相場は樹齢にもよるが2、3ドルとのことだ。
国会論戦は参議院でもおこなわれていた。 ( 平成10年6月4日、外交・防衛委員会 )
泉信也委員  「 ……( 中国側が )同意をしていないというそのあかしが何かございますか 」
阿南惟茂政府委員  「 ……中国側が同意をして日本側が化学兵器を残置した、そういうことはないと言っております( 以下略 ) 」
このような外交官がいることは、主権国家としてその姿勢が問われるのではあるまいか!



「引継書」 には中国側受者の署名と捺印

眠りから醒めた旧日本軍兵器引継書

 戦後の数奇な時空から、現れたのは、膨大な量の旧日本軍兵器引継書の原本であった。 それは、ゴルバチョフ・ソ運大統領時代からのグラスノスチの自由と民主主義の 「風」 にのってロシアから、山形県にあるシベリア史料館に来たのだ。 しかし、元全国抑留者協会長、斎藤六郎氏が亡くなられてから10年以上封印されてきた。 埃を被っていた段ボール箱を開けたのは、10年間で初めて。 何ものかに導かれるかのように開けた最初の箱から大量の兵器引継書が出てきたのである。これらの史料は、1980年代に朝日新聞が火をつけ、媚中派政治家、外交官と中国が運動して育ててきた 「遺棄化学兵器」 問題を根底から覆すことのできる、第一級の歴史史料なのである。
 引継書を検討していて、支那派遣軍の各軍、師団に所属していた引継ぎを担当した数千に及ぶ兵士たちの心情を思うとこみ上げてくるものを抑えることができなかった。 それは、近代国家へ脱皮するため、開国以来、ひたすら国際条約を遵守してきた日本人がポツダム宣言受諾に対する遵法精神そのものであったからだ。これらの史料には小泉首相の靖国神社参拝を象徴する歴史認識問題をからめて、朝貢国家に貶めようとしている中国のもくろみをはねつける力がある。 そして、一兆円とも言われる遺棄兵器処理費用。 その税金の無駄を回避させることができるのだ。

兵器引継書
 
その中の目次。 第百十八師団だけでなく、各軍、師団、大隊など、すべてで渾然一体に引継ぎが実行されていた。

国立公文書館所蔵の軍事機密史料 「秘密兵器概説綴」 。
 
その見出し番号は31まである。 今まで化学弾は山砲榴弾、野砲榴弾に合まれるといわれながら、詳しくは知ることができなかった。 しかし、この史料の見出し番号と今回発見した引継者を順次検証すると化学弾引継ぎの実態が明らかになる。

引継ぎを受けた中国側責任者の署名と捺印が見える。
 
その中の弾薬リスト。 三八式野砲九〇式代用弾(甲)は化学弾と見られる。 また、四年式十五榴弾砲榴弾は秘密兵器概説綴の見出し(20-23)と照合するとやはり化学弾と見られる。 抑止力としての化学弾は通常弾と比べると、極端に少量なのが実証できる。 また、代用弾の表現は化学弾が含まれていると思われる。

引継書表紙。
 
その中の弾薬リスト。 四一式山砲榴弾甲、四一式山砲榴弾乙は、秘密兵器概説綴の見出し10に該当し、化学弾のきい一号甲と乙と思われる。 それは通常イペリットである。

表紙。
 
その中の弾薬リスト。 政府は、化学弾は引継ぎを除外する通達があったとしている。 しかし、化学弾には火焔弾、発煙弾が含まれており、上のリストからも嘘と証明できる。

河北地区軍の総括リスト。 数量は百万の単位でも一桁までカウントされている。 また、発射発煙筒など化学弾を含むと思われる各種代用弾も引継いでいる。
 
中国広東方面の二三軍の引継ぎリスト。 各種山砲、野砲弾に発煙弾が記述されていることで、化学弾は分離し、引継ぎがなかったという政府答弁の虚偽がわかる。

 それでは、今回、発見した旧日本軍兵器引継書の全容を明らかにする。
 それは、約600冊である。 その引継書には、すべて年月日、引継場所、授者、受者の身分、署名、捺印が記帳されている。
 1冊には、各数名から数十名の中国人署名があり、総数は数千名である。 受者( 中国人 )の署名は、化学兵器もいっしょに接収したことの同意文書なのである。

 今回入手した主な旧日本軍兵器引継書の日付と責任者の名前を提示してみよう。
兵器引継書 第一軍司令部( 除航空隊関係 )
 昭和20年9月18日
 授者山西地区連絡部長澄田■[貝+來]四郎
 受者第二戦区司令長官閣 錫山
兵器資材移交目録 独立混成第二旅団分
 昭和20年11月27日
 授者陸軍少佐辻田新太郎
 受者上校組長閤 樹堂
兵器引継明細書 独立歩兵第一旅団司令部
 昭和21年1月23日
 授者陸軍少将浅見敏彦
 受者軍政部特派員楊 仲平
軍需品引継目録 第六軍司令部 ( 第七十師団兵器関係 )
 昭和20年10月11日
 授者陸軍中将内田孝行
 受者陸軍少将李 盛宗
兵器移交目録 第百十八師団の分( 武器・弾薬 )
 昭和21年2月19日
 授者陸軍大尉湯浅 誠
 受者日軍軍品接収委員会彭 昌茂
地上燃料弾薬引継目録 第十五野戦航空補給廠
 昭和20年10月1日
 授者陸軍大佐關澤 陸七郎
 受者空軍上尉樊 慶璋
  空軍少尉陳 禹文
兵器引継明細書 中支那野戦貨物廠南京支廠
 昭和20年10月4日
 授者陸軍主計少佐岩村幾次郎
 受者軍政部陸軍中校黄 曙堂
兵器引継明細書( 其ノニ )第四十三軍司令部
( 第四十七師団指揮下の分 )
 昭和21年1月21日
 授者陸軍少佐森田清之亟
 受者接収長官■[禾+夛]■[激のシが糸] 無■[享+化]
兵器授受證書 華北方面軍経理部石家荘
 昭和21年1月20日
 授者陸軍建技大尉江島 正
 受者陸軍少将戴 宗逵
  陸軍中校陶 達人
兵器移交目録 独立混成第九旅団司令部
 昭和21年1月10日
 授者陸軍中佐猪子加壽男
 受者陸軍中校李 瑣昴

 上記、兵器引継書は、掲載した写真のものと様式は同じである。 これらには、現在化学兵器にふくまれる発煙弾、発煙筒がほとんど引き継がれており、中国及び外務省が言う 「化学兵器の引き継ぎに同意していない」 は、嘘と証明できるのである 中国政府は、この歴史的事実を厳粛に受けとめなければ、国際的に孤立するであろう。 また、中国国民党軍による接収は、中共政府と関係ないと開き直るのであれば、自ら二つの中国を認めることになるのだ

 支那派遊軍の兵器引継書を検証した結果、引継業務は、各軍、直轄師団に集積して実施されたのではないのである。
 その実体は、各地に配属されていた、中隊クラスを最小単位として、各軍司令部、各旅団司令部、兵器廠、連隊、大隊などが別々に接収されていた。
 そして、その各の明細が各軍、各師団、各旅団で集計されていた。 最終的に北支那方面軍、第六方面軍、広東地区、河北地区などと三段階から四段階の集計作業が実施されているのである。
 今回発見した旧日本軍兵器引継書は、北支那方面軍、第一軍、十二軍、駐蒙軍、四十三軍、十一軍、二十軍、十三軍、六軍、二十三軍、直轄師団すべてを網羅している。

 ポツグム宣言を受諾後の旧日本軍は、敗戦の混乱の中でも厳粛に国際条約を履行していたのである。
 数々の引継授受書の中には、ケント紙一枚単位まで記述されているものもある。
 水ももらさぬ几帳面さで引継作業をした日本人にたいして、日本国政府は犯罪行為に等しい態度で中国にへつらっているのである。
 これは、歴史にたいする冒涜でもあるのだ
 そして、関東軍の兵器引継状況も中国国民党軍からソ連軍に変わっても実施状況に大きな違いはないのである。




旧満州でも存在しなかった 『遺棄化学兵器問題』

 終戦史料館出版部が平成7年に出版した 『シベリアの挽歌』 ( 斎藤六郎著 )には、貴重な史料が多数掲載されている。
         ◇
『 スターリンに対するワシレフスキー報告書 』
暗号による特重要
モスクワ スターリン同志へ
写し・アントーノフ同志ヘ
1945年8月19日いっぱいの極東方面軍の状況について報告する。
一、1945年8月19日、満州における全ての前線で、日本軍の抵抗が中止され、我が軍は、計画通り、敵軍の武装解除に着手した。 1945年8月19日の一日で、約6万5千人の日本・満州軍が武装解除する。
 ( 二~五は略 )
六、……将官ハタは、私との会談の終りにあたって、降伏実行の手順に関する私の要求は、全て、すみやかに、確実に成されるであろうと確約した。 ( 以下略 )
         ◇
 極東ソビエト軍総司令官・ワシレフスキー元帥が、スタリーンヘ8月19日に満州における全ての前線で、計画通り武装解除に着手したことを報告しているのであり、極端なことを言えば、この報告書だけで満州に於ける遺棄化学兵器問題など存在しないことが分かる。
 また、ワシレフスキー元帥の関東軍にたいしての命令書を見ればより明らかになる。
         ◇
 『 関東軍総司令官に対するワシレフスキー元帥の命令書 』
 貴殿の代表として派遣された関東軍参謀長泰中将は1945年8月19日、関東軍の降伏とその武装解除の手続きに関する以下の指示を私から受け取った。
一、関東軍部隊の戦闘行動をただちに停止すること、戦闘行動の即時停止に関する命令を部隊に速やかに通告することが不可能な地区においては、遅くとも45年8月20日午後12時までに戦闘行動を停止すること。
二、関東軍部隊のあらゆる編成換えをただちに停止すること。 降伏条件の遂行を保障する上で必要なあらゆる移動は、その都度自分の許可を得て行うこと。
三、第一方面軍司令官、第三、五、三四軍司令官に対し以下のことを指示する。
 ( イ )代表を会見場所の延吉、寧華、牡丹江に派遣し、現地のソ連軍司令部とただちに接触させること。
 ( ロ )朝鮮北部に展開する部隊を第一極東方面軍司令部の代表の指示に従って集結させること、そのために第三四軍司令官は45年8月22日の朝までに延古に到着すること。
 ( ハ )第一方面軍司令官は、降伏条件の遂行にかかわる指示を受け取るために45年8月20日の午後8時までに寧華に到着すること。
 ( ニ )師団、部隊に以下の地区において降伏することを命令する。 勃利、牡丹江、寧華、汪清、勃化、延古、会寧、ハルピン、古林。
 ( ホ )45年8月22日の朝までに極東ソ連軍総司令部に提出すること。
  関東軍のあらゆる師団、部隊のリスト。
  後方の部隊、施設、保管庫とそこにある弾薬のリスト。
( 以下四、五、六は略 )
極東ソ連軍最高司令官            
ソ連邦元帥 ワソレフスキー
関東軍総司令官                    
山田乙三殿
1945年8月20日
         ◇


「抑止力」 として所持していた化学兵器

 旧日本軍が保有していた化学兵器は、ソ連軍の化学兵器にたいする抑止力として開発されたようなもので、昭和12年8月に関東軍技術部化学兵器班が設置されていた。
 抑止力であれば、化学兵器の実体は極秘でも、関東軍が化学兵器を所有している事実をソ連が知らなければ抑止力となり得ない。 それゆえ、ソ連が弾薬リストの要求をして来て、その中に化学兵器がないことなど認めることなどないのである。 中国は、1950年代初め、敦化地区の大橋郷などで大量の化学砲弾が発見され、危険なので現地政府が1951年から1963年にかけて人の住まないハルバ嶺の一角の山腹に埋めたと言っている。
 平成16年2月号の 『正論』 に掲載された拙稿に読者から寄せられた手紙によると、 「 古林省敦化付近でソ連軍の管理に入って後、9月初旬頃、ソ連軍の命令により、同地より附近の大石橋におもむきその湿地( 湖沼 )に数日間にわたりガス弾の放棄投入に従事しました。 したがって 『 日本軍により‥‥‥‥‥云々 』 という中国側の主張は事実ではありません 」 と元関東軍第二幹部教育隊( 石頭 )所属の方からの証言だ。
 日本政府が、遺棄化学兵器問題を中国が問題にしてきた15年前に旧日本軍の関係者に聞き取り調査を少しでもしていれば、現在までこの問題が継続していることなどなかったのである。日本の外務省に巣くうチャイナスクールの外交官はどこの国の為に仕事をしているのであろうか。
 日本側の史料としては、関東軍の極秘文書もシベリア史料館には大量に所蔵されている。 その文書の中に、関東軍総司令官、山田乙三が、昭和20年9月1日に天皇陛下に上奏した 『 作戦並停戦の状況 』 によると、チチハル市が位置する旧満州西北方面は、 「 8月17日朝ヨリ 」 そして、今問題になっている同東方面に位置するハルバ嶺は 「 8月17日夜ヨリ 」 完全に武装解除されたことを報告しているのである。
 それらを補足する資料としては 『 関東軍方面停戦状況二関スル実視報告ノ件 』 ( 大本営朝枝参謀、昭和20年8月26日 )によると、 「 関東軍保有ノ総テノ兵器、弾薬、軍需品、軍事諸施設ハ悉皆良好ナル状態二於デ 『ソ』 側二引渡セリ 」 となっている。ここにある 「総テノ兵器、弾薬」 には、日本人であれば化学兵器もふくむとしか解釈できないが、日本政府の遺棄兵器担当者は違う解釈をするのであろうか。
 また、旧満州に於ける、施政権の移行も興味のあるところである。 その状況を報告する文書としては、8月20日14時の 『 停戦二関スル瀬島電文 』 がある。
「 東蘇軍最高指キ官 『ワシレフスキ』 元帥ト会見降伏二関スルー般的連絡ヲ為セリ
一、( 略 )
二、武装解除ノ範囲ハ京城以北ノ満鮮兵カトシ、都市等ノ権カモー切蘇軍側に引渡ス 」 となっている。

 終戦から一週間たらずで、完全に武装解除と施政権もソ連に引き渡すような中で、化学兵器だけを分離して旧日本軍が遺棄したなどは歴史を冒涜する詐欺師の物言いである。 関東軍の資料とソ連側の資料を合わせて読むと満州に於ける接収作業は、軍閥の集団のような中国国民党軍とは違い整然と実施されたことが理解できるのである。
 しかし、接収された兵器・弾薬がその後、中国共産党軍に移交したのではないかと調べると、ソ連共産党中央付属マルクス・レーニン研究所編集( 昭和35年 ) 『 第二次世界大戦史 』 第十巻( 邦訳・川内唯彦、弘文堂刊 )にはこう記載されている。
 「 第三六軍部隊は、8月19日、チチハルを占領し、そこで約6000人の敵将兵を武装解除した 」

 また、ソ連軍は大量の戦利品を得た。 ザバイカル方面軍と極東第一方面軍のみでも次のとおりである。
「 火砲1,565門、迫撃砲・擲弾てきだん筒2,139、戦車600台、飛行機861機、軽機関銃9,508挺、重機関銃2,480挺、自動車2,129台 」 ( 同前 )となっている。

 これらの兵器は、同書の接収兵器の記述をみると、 「 人民権力( 現中国政府 )は、すでにソビエト軍による関東軍の撃滅の直後に東北中国にその影響をひろげていた。 ( 中略 )人民軍が勝利の攻撃作戦をおこなうことができたのも、( 中略 )人民軍はソ連邦国軍に撃滅された元関東軍と満州国軍の兵器と弾薬を利用したが、このことも、作戦の成功を保証した 」 と、記載されているのである。



旧ソ遺などが遺棄したとするのが自然

 現在、中国が日本に廃棄を押し付けている遺棄兵器は、中国国民党が残置した接収兵器と、中国がソ連から移交された旧日本軍の兵器で、不必要になったもの、そして、一部ソ連が遺棄したものと理解するのが自然なのである。
 また、シベリア史料館には、関東軍の 「 兵器引継目録( 銃砲、弾薬、器材、機甲、燃料 ) 」 も所蔵されているので、近々関東軍の引継の実態を明らかにできるであろう。
 旧日本軍の遺棄化学兵器をめぐる論争は、日本人の良識と非常識の問題でもあるが、国会議員の中にも良識のある議員がいることは日本にとって救いである。
 また、経済人はすべて中国の 「 経済権益 」 に溺れているかというと、 『ざっくばらん』 ( 平成15年12月1日号 )に 「 遺棄化学兵器はすべて接収されたものである 」 と警鐘を鳴らしたテイケイ株式会社( 帝国警備 )・高花豊氏のように慧眼の人士もいるのである。
 平成18年1月3日付産経新聞によると、中国は、当初の予定になかった大型変電所やヘリポートの建設を要求して来たとのことである。化学兵器処理に必要な変電所は数千キロワットのところ5万~7万キロワットの建設とヘリポート、そして軍用車両が通行可能な道路となれば、誰の目にも明らかなように、軍事基地ではないか。 それにプールとスポーツ施設が併設された快適な2LDKの兵舎まで予定されていても、政府官僚は中国の弁護に終始しているのである。
 中国の周辺国で一番の仮想敵国は日本である。 ハルバ嶺は地政学上の要衝で、中国が直接日本を攻撃する時は、最短の地なのである。
 今回の史料発見で処理費用は、日本が支払う必要のないものであると判明したにもかかわらず、中国の要求を丸のみすれば、日本は自ら自分の首を締める縄を綯っているようなものなのだ。 遺棄兵器廃棄終了後、作業用道路は、少し広げれば戦闘機が離着陸できる滑走路となり、日本の領空へ五星紅旗の付いた戦闘機が飛来してくるであろう。
 平成18年2月24日、衆院内閣委員会で民主党の泉健太衆院議員の 「 武器の引き渡し目録などの資料が出てきた場合、( 処理費用の )請求が中国やロシアに及ぶことはあるか 」 との質問に、内閣府の高松明・遺棄化学兵器処理担当室長は 「正式に中国やソ連に化学兵器が引き渡されたという文書が発見されれば基本的な枠組みが変わってくる」 と答弁した。
 今回、発見した文書は、高松室長が答弁した 「枠組みが変わる」 どころのものではない。
 遺棄兵器問題は、国益及び安全保障に直結している最重要外交問題である。 内にあっては、時として偽メール事件で少し遊ぶこともゆるされるだろうが、遺棄兵器問題は日本が主権国家であるかないのか、国の姿勢が問われる のである。
 平成15年12月13日付 『 しんぶん赤旗 』 は 「 戦争での化学兵器使用は禁止しましたが、生産・開発・保有などは禁止しませんでした 」 と、昭和20年当時の国際条約を解説していた。
 阿南惟茂元外務省アジア局長が、国会で答弁したような隠すようなものではないのだ。
 その意味で共産党のほうが、外務省より遺棄化学兵器問題の核心を衝いているのである。 今後、全国会議員は、その件に付いて一丸となり対処していただきたい。
 第二次世界大戦を戦った当事国は、日中間の遺棄化学兵器問題の趨勢に注目しているであろう。 それは、各国が昭和20年当時、化学兵器を所有していたのであり、戦勝国は日本の接収に従事したので、日本の化学兵器の実態を承知しているのである。
 この問題は、情報戦の最たるもので日本が中国の要求に翻弄され続けるのであれば、世界中の国が 「ナメ」 てかかってくる であろう。 今、我が国がこの件に関して、緊急に対処することは、遺棄化学兵器処理費の無期限凍結とハルバ嶺への視察を中止することなのだ。 最後に一言つけ加えると、今回発見した支那派遣軍すべてを網羅した旧日本軍の兵器引継書が、なぜソ連に所蔵されていたのか不思議なことである。
 しかし、歴史をふまえて推察すると、中国全土が戦場になった、第二次大戦後の国共内戦に於いて、共産党軍各司令部の指揮を取っていたのはソ連軍の将校だったのではあるまいか。
 そうであるならば、国民党軍が敗退したことも、戦利品として国民党軍が所有していた旧日本軍の兵器引継書がソ連に所蔵されていたとしても不思議ではないのである。 今回発見した旧日本軍の兵器引継書は、日本の名誉回復と国益を守るだけでなく、国共内戦という世界史の一頁の実態を浮き上がらせる超一級の史料かも知れぬ。 しかし、歴史史料は黙して語らず。 唯、歴史の証人として眼前に現れたのであった。