尖閣衝突事件



日本巡視船に 「仕組まれた突撃」。 船員たちの 「自供」 は中国大使館員の面会で一変した。

菅直人総理に緊急情報が伝わったのは、19日の夜。 中国外務省の報道局長が、衝撃的な声明を、国営通信社 「新華社」 に伝えた。
 「中国は、強烈な報復措置を日本に行う。 その結果責任はすべて日本にある」
 しかし、総理周辺は、いまだ楽観的である。
 「中国政府は、国民世論を沈静化するために、敢えて強硬態度を貫く必要があるのだろう」 ( 総理に近い民主党幹部 )
 だが、菅政権は完全に読み間違っている。 中国の 「国家の意志」 に気づいていないのだ。
 菅政権が、この問題に最初に対応したのは、民主党代表選に向けて菅直人首相と小沢一郎元幹事長が火花を散らしている真っ最中の7日深夜、総理官邸を、外務省幹部と海上保安庁幹部とが訪れ、民主党幹部の部屋に駆け込んだ、そのときからだった。
 その日の朝、東シナ海の尖閣諸島周辺の領海内で、中国のトロール漁船が哨戒中の海上保安庁の巡視船二隻と衝突。 同船と船長以下、15名を公務執行妨害容疑で石垣港に連行中のことだった。
 中国、台湾も領有権を主張する尖閣諸島周辺では漁船や、中国の調査船による領海侵犯が多い。 漁船に違法操業の疑いがある場合、海上保安庁はこれまでも警告したり、立ち入り検査したりしていた。
 総理官邸でまず報告されたのは、中国トロール漁船の 「悪質性」 だった。
 コトの起こりは、同日午前9時17分頃。 パトロール中だった海上保安庁の巡視船 「よなくに」 が、尖閣諸島の久場島から338度、約12キロの海上、つまり日本の領海内で操業している中国のトロール漁船を発見。 巡視船は直ちに、領海内から出るよう、拡声器と電光掲示で警告。 しかし、トロール漁船は無視を続けた。
 そしてその一時間後、警告を続けながら併走していた巡視船に、トロール漁船が、突然、ぶつかってきたのである。 明らかに、舵を切って故意に突撃してきたのだった。
 巡視船は、警告から停船命令という刑事手続に切り替え、併走を続けた。 ところが、今度は、同じく併走していた巡視船 「みずき」 に対して、トロール漁船が急に舵を左に切り、それもまた突撃してきたのである。 それら二度の 「突撃」 は、すべてビデオに収められ、刑事事件としての立件は必然である、と海上保安庁幹部は主張した。
 トロール漁船は結局、午後1時前にようやく停船。 海上保安官が立ち入り検査を実施し、船長を始めとする船員たちを船とともに石垣島の港へと連行した。
 しかし、ある民主党幹部によれば、総理官邸に集まった関係省庁幹部たちは楽観的だった、という。
 トロール漁船の船長や船員たちの態度が従順であり、故意に衝突したという事実や、違法操業を行っていたことも認める可能性が高い、との情報が入っていたからだ。
 ただ、国家の意志としての“重大な警告”を行う必要がある、として、船長だけは逮捕という措置を取るべきだと意見が一致した。
 しかしながら、今後の取り調べで、罪を認める可能性が高い。 そうなれば、一般刑事事件の手続からしても、略式起訴による罰金刑を科すだけで釈放できるだろう、という空気が流れ始めた。 つまり、大きな外交問題には発展しないはずだ、と踏んだのである。
 この事件が起きるまで、日中関係に大きな障害は存在していない。 これまで中国側がかたくなだった東シナ海のガス油田の協議についても、中国は友好的にテーブルに着く予定となっている。 そもそも、たかだか一隻の漁船の事件だけで、中国が外交戦略を変えてくるはずもないだろう ―。
 翌日、総理官邸には、船長や船員たちの供述が報告されたが、想像通りだった。 船長や船員は、冗舌に、故意に衝突させた経緯をロにし、違法操業についても完全に認めている ―。
 「安堵した総理官邸は、この事件への関心を急激に失っていった。 これ以上、中国との関係も悪化しないであろうと。 激しくなるばかりの代表選レースの票読みに支配されていったのです」 ( 民主党幹部 )
 ところがである。




 その数日後、総理官邸は、報告された内容に愕然とした。 船長以下、船員たちの供述がひっくり返ったというのだ。
 何が起こったのかについて尋ねる総理官邸に、国土交通省幹部は、昨日まで認めていた容疑について、供述調書への署名を拒絶している、と困惑して答えたのである。
 理由を問いただす総理官邸に、国土交通省幹部が言ったのは、ある事実だった。
 東京からやってきた中国大使館の幹部が、船長と船員たちに接見した、その直後、彼らの態度が一変したのだという。
 総理官邸は、中国の 「国家の真意」 を読み取れず困惑した。
 「中国大使館幹部は、何も答えるな、と恫喝したことは明らか。 ただ、大使館幹部は、個人的な判断でそんなことを行えるはずもない。 北京の中国政府からの、つまり、中国の指導部からの命令であることは間違いない。 しかし、中国は、なぜ敢えてコトを大きくしようとしているのか ……」 ( 前出・民主党幹部 )
 その一方で、官邸や外務省が気づかないところで、事件発生直後から中国の 「国家の意志」 を敏感にとらえていた者たちがいた。
 事件が報道される前より、海上自衛隊とアメリカ第7艦隊の情報部門同士が頻繁に連絡を取り合っていたのである。
 日米の情報のプロたちが真っ先に関心を寄せたのは、事件の直後、現場海域にいた漁船から、中国へ発報された、ある 「通信」 だった。
 その 「通信」 は、事件の発生をいち早く中国に伝えていた。 一般の中国漁船とは思えない 「特殊な通信」 だった。
 尖閣諸島周辺では、この数ヵ月間、中国の漁船の数は増加するばかりだった。 しかし、その中に、中国情報機関が運営する漁船に偽装し、任務を与えられたミッション・シップ、つまり 「スパイ船」 が多数紛れ込んでいることを、日米の情報のプロたちは把握していた。 日米の情報当局はここ数年、中国のあらゆる船舶の監視を強化しているのである。
 日米の情報のプロたちは、事件発生直後の 「特殊な通信」 の内容に重大関心を寄せるとともに、トロール漁船の 「大きさ」 にも関心を寄せた。 これまで出没していた漁船とは大きさがかなり違っていたからである。
 ゆえに、日米の情報のプロたちは、船長よりも、連行された船員たちに注目した。 そのトロール漁船を 「スパイ船」 と疑ったからだ。 もしそうであれば、トロール漁船を仕切っていたのは船長ではない。 船員に偽装した中国情報機関員か政治士官が存在するはずだからだ。
 日米の情報のプロたちは、海上保安庁へ非公式にアクセスし、その可能性を探った。 結果、一人の船員に疑いがかかった。 だが立証するには余りにも時間はなかった。 日本政府の判断で、船員たちを早々と帰国させてしまったからである。
 だが、その後の中国政府の抗議の姿勢に、日米の情報のプロたちは、トロール漁船が 「スパイ船」 であった疑いをより強くした。
 丹羽大使を呼びつけた相手として、戴秉国ダイヴィングウォ国務委員が登場したからだ。 それだけ中国も早くこの問題を解決したい証拠、と外務省は官邸に解説してみせた。 だが、問題はそう単純ではないと、日米の情報のプロたちは見ている。 それは、戴秉国氏が、副首相クラスの超大物ということに、興味を持っているわけではない。
 戴秉国氏の 「真の姿」 にこそ、注目を寄せているのである。
 戴秉国氏は、外交の責任者として伝えられているが、西側の情報機関は、そんな簡単な表現で彼を評することは決してない。
 戴秉国氏は、外交の 「裏」 も仕切り、諜報機関さえも従えている。 特に、人民解放軍の諜報機関 「総参謀部2部」 と一体化した 「裏外交」 の最高責任者の顔こそ、 「真の顔」 として認定されているのである。
 だから、なぜ戴秉国氏が登場したのか、そのことに、日米の情報のプロたちは強い関心を寄せているのである。 しかも、戴秉国氏は最近、日中関係においてはほとんど動静が伝えられていなかった。 中国のマスコミにもほとんど登場していない。 日中間には、他にも重要な外交問題があるにもかかわらず。
 それが、一漁船の事件で、久々に登場した ― それはなぜか?
 日米の情報のプロたちは、トロール漁船の事件が、中国政府による 「作戦」 の可能性が高いと分析している。 つまり、ごく近こい将来、尖閣諸島の実効支配の作戦を意思決定して、どこまでやれば日本はいかなる手段に訴えるか、その対抗措置を作成するために諜報機関が指揮した 「仕掛け」 ではなかったのか、そのため、突撃しても支障のない大型船を用意したのではないか。 そして、諜報機関の背景があったからこそ、その責任者の一人である戴秉国氏が登場したのではないか ―。
 また、日米のプロは、船長と船員の口を封じた中国大使館、ひいては中国政府の命令はその証左だと注目している。 略式起訴で収めれば、すぐに釈放されるし、コトは大きくならない。 にもかかわらず、敢えて起訴させる選択肢を日本に選ばせ、緊張状態を意図的に作った。 すなわち、さらなる強硬手段に中国が出やすい環境作りのために ―。
 つまり中国の“最初から”の 「国家の意志」 であったと思わざるを得ないのだ。
 9月下旬、逮捕した船長の最終勾留期限を迎える。 北京の中国政府のある高官は、起訴という事態になれば、断固たる国家の意志を見せることになる、と日本の外交筋に伝えている。
 菅政権は楽観視することなく、中国の 「国家の意志」 を読み解くことが求められている。