( 2014.01.27 楊海英 )





 そんなモンゴルに関して、ここにとてもショッキングな数字があります。 大量虐殺のデータです。
 1966年、中国で文化大革命が勃発した時、内モンゴル自治区には150万人弱のモンゴル人が住み、一方、長城の南から侵略してきた中国人はその9倍にも達していました。 そして、そんな自らの故郷において少数民族になっていたモンゴル人たちは、全員が中国共産党による粛清の対象となり、結果、1976年までの10年間に34万6000人のモンゴル人が逮捕され、12万人が身体障害者になって、2万7900人が殺害されました。
 ただし、これは中国政府が公式に発表した数です。 私は少なくとも10万人が殺害されたと見ています。 私だけでなく英米の社会学者、複数の人が複数の地域でサンプリング調査していくと、やはり10万人の殺害という数字になってしまうのです。
 これに 「 遅れた死 」、つまり逮捕されて拷問を受け、何とか家に帰れたものの、のちに亡くなった人を加えると、文化大革命によるモンゴル人の犠牲者は、およそ30万人に達すると言われています。
 これはとても大きな数字です。先ほど申し上げたように、当時の人口は150万人弱ですから、ひとつの家庭から1人が捕まり、15人に1人が殺害され、 「 遅れた死 」 を含めると5人に1人が亡くなったことになります。 これら中国に暮らすモンゴル族全体が受難していた凄惨な歴史を、私たち研究者および当事者たちは、中国共産党政府と中国人が一体となって進めた ジェノサイド( 大量虐殺・民族浄化 )だと理解しています。
 そして、ここが大切なところなのですが、このように多くの人々が殺害された原因が、モンゴル人たちが日本の植民地時代に、日本人と仲良くして 「 対日協力 」 をしたということだからです。
 最初に私が、 「 中国によるモンゴルへの弾圧を日本で語る意義 」 と言った意味はこれです。 「 満蒙時代にモンゴル人は日本と仲良くしていた 」 「こ れは許せない行為である 」。 その口実でモンゴル人が大量に虐待・虐殺されたわけです。 ですから、私はこのモンゴル人粛清問題をぜひ日本人に知ってもらいたいと思っています。 これは日本の人たちにぜひとも考えていただきたい、アジアにおけるもうひとつの歴史なのです。




 モンゴルの近現代史を少しだけ説明してみましょう。 1911年に辛亥革命があって、翌年に清朝が打倒されて以降、モンゴル人は中国から離れて別の国を作りたいと努力してきました。 そして、モンゴル高原の北側にはモンゴル人民共和国ができて成功しましたが、南モンゴルのほうは中国の軍閥や入植者、農民がたくさんいたので独立できなかったのです。 そこに進出してきたのが日本でした。 満蒙開拓団ですね。
 そこで日本がどういう政策を取ったかというと、中国人の侵略者たちに 「 それ以上、侵略するのはやめなさい 」 と言った。 そして、モンゴル人が一番大事にしている遊牧生活をきちんと守るわけです。 というのは、なぜモンゴル人たちが遊牧をあれだけ大事にするかというと、モンゴルの草原というのは一見、緑に見えても、実は地層の栄養素がとても薄いのです。 開墾して農耕地にしようとすると、砂漠になってしまう。
 つまり、モンゴル人たちが放牧をするのは、長い経験から大地の脆弱さを知っていたからです。 その環境を守りたいわけです。 しかし、入植してきた中国人たちはかまわず開墾して、無理やり農地化していた。
 一方、日本人は現地を調査して、このモンゴルの地は開墾してはいけないとすぐに理解しました。 日本は植民地化を進める際、満蒙に学者を派遣して調査させていたわけです。 その学者たちが大変建設的な提案をした。 そこで南モンゴルでは、モンゴル人はそのまま遊牧を続け、中国の入植者たちはこれ以上農耕地を開拓しないほうがいい、とこういう合理的な政策をとるわけです。
 これが、モンゴル人たちが日本人に対して好意的になった理由です。 彼らはのちに中国から 「 お前たちは日本政府に協力しただろう 」 と言われて粛清の対象になりますが、それは中国に対して意味もなく反発していたわけではありません。 日本の対満蒙政策が、非常に道理に適っていたからなのです。




 このように考えていくと、モンゴル人が大量に虐殺されたことがいかに日本と繋ががっているかを、ご理解いただけると思います。 つまり、これは日本の問題でもある。 要するに国際問題なのです。 中国はいつも 「 民族問題は内政問題だ 」 と言いますが、それは違います。 民族問題はすべて国際問題なのです。
 なぜなら、モンゴル人を殺すということは、言わば間接的に対日の歴史を清算していることにならないでしょうか? 毛沢東と周恩来は 「 日本には賠償は要りませんよ 」 と言った。 そう言っておいて、一方でモンゴル人には 「 お前たちは日本に協力しただろう 」 と因縁をつけ、粛清ないしは処刑したわけです。 これが対日の歴史の間接的な清算であり、歪曲的なすり替えでなくて何なのでしょう。
 これは中国における他の地域でも同様です。
 チベットの問題では、チベット人は文明的にインドと繋がっているので、1959年にダライラマが亡命していまに至ります。 これはすなわち、インドとの国際問題なんです。 インドと中国が仲良くなれないのはダライラマの亡命政権を抱えているからだし、インド人たちはダライラマにシンパシーがあるから上手くいくはずがない。
 ウイグルの問題でも、ウイグル人はトルコ系の民族です。 トルコ系の人たちは全体でいま、中央ユーラシアに7億人いるんです。 ウイグルからアナトリアまで7億人です。 彼らはみな、言葉はすぐに通じるし、同じ価値観を持っていますから、ウイグル人が中国で弾圧されていると、中央アジアの7億人の仲間たちは当然、黙ってはいられない。 それらの国は建前上、 「 内政相互不干渉 」 と言いますが、心情的にはやはりウイグル人が抑圧されていることには同情的です。 そうするとこれはやはり、間違いなく国際問題なのです。
 それに関して、中国は常に 「 モンゴル、チベット、ウイグルの問題は解決済みだ 」 と言う。 たとえば現在でも、モンゴルでは中国政府や漢民族に対する抵抗運動はしばしば起こっていますが、それに対して中国が行うのは 「 あれは刑事事件だ 」 と言って片付けることです。
 ウイグル人に対しては、 「 彼らはテロリストなんだ 」 と言います。 今年の10月に、天安門広場でウイグル族一家による自動車炎上事件がありました。 あれに関しては、日本でも 「 抗議の投身自殺だったのではないか 」 という見方がありましたが、中国は一貫して 「 いや、テロ事件である 」 と言います。
 「 テロ 」 だと言えば、国際社会が納得すると中国は思っている。 ウイグル人はイスラム教信者だから、そしてアメリカはいまイスラムと戦っているから 「 イスラムだからテロリストなんだ 」 と、そう言っておけば正当性が保てると思っているのです。
 繰り返しますが、民族問題はすべて国際問題です。 中国はそんな民族問題を歪曲し、矮小化し、国際社会の眼を誤魔化そうとしているだけです。 中国における民族問題は、何ひとつ解決していないのです。




 そしてもうひとつ、日本の合理的な対満蒙政策に賛同し、協力してきたモンゴル人たちでしたが、第二次世界大戦で日本が敗退、満蒙から撤退するにあたり、今度はソ連と一緒になりたいと考えます。 南モンゴルの人たちも、決して中国を選ぶことはなかった。 モンゴル人民共和国の成立と民族の統一を実現させて、ソ連圏に入りたいと望んだのです。
 しかしこの時、ヤルタ協定 というものが結ばれて阻まれてしまいます。 これは、対日敗戦処理を巡る秘密協定 です。 ここでソ連、アメリカ、イギリス、中華民国が密談をして、ソ連が満州に出兵する代わりに南モンゴルは中国が支配するという、いわば裏取引がなされるのです。
 私はいま、この取引を問題視しています。 なぜかというと、このヤルタ協定とはそもそも対日敗戦処理の協定であって、モンゴルのその後を決めるものではなかった。 しかも、モンゴル人は誰一人出席していないんです。 当時、独立国家として存在していたモンゴル人民共和国も代表を派遣していないし、南モンゴルからも参加していない。 満州国のモンゴル人もいませんでした。
 モンゴル人のいないところでモンゴル人の運命を決める ── そして南モンゴル、つまりモンゴル人の半分を中国へ売り渡してしまう結果になってしまった。 しかも、戦勝国が敗戦国に対する処理をするという密約のなかで、言わばどさくさ紛れのように運命が決められた。 これは、モンゴル人にとって非常に不平等かつ不名誉な取り決めと言わざるを得ません。
 結局、南モンゴルは中国に占領されてしまうわけですが、占領されて終わるだけではなく、中国はモンゴル人に2つの罪を負わせてきます。
 ひとつは、 「 満蒙時代に対日協力した罪 」。 そしてもうひとつが、日本人が撤退したあと、中国を選ばずにモンゴル人同士でひとつの国を作りたいと望んだ、つまり中国に言わせれば 「 中国から分離独立をしたいといった罪 」 です。 この2つが罪となって、10万人ものモンゴル人が被害にあう大虐殺が始まるのです。




 もうひとつ、この間に大変残虐な出来事が繰り広げられていたことをお伝えしたい。
 中国の文化大革命の間、南モンゴルでいったい何が行われてきたのか。 私は実証研究に基づき、できる限り多くの資料を集め、当事者にインタビューしてきました。 結果、中国共産党政府と中国人が一体となって、モンゴル人に対する一方的な大量虐殺があったことが明らかになりました。 そしてその際、同時にモンゴル人女性に対する極めて悪質かつ残虐な性犯罪が横行していたのです。
 この中国によるモンゴル人ジェノサイドについて、私はいままで5冊の第一次資料を日本で刊行してきました。 そして、このうちの第5冊は 『 被害者報告書 』 ( 風響社、2013年 )、つまり女性たちが自身の経験した性的被害を記した記録です。 これには、被害者たちが誰にいつどのような目に遭わされたかということが、実名で書かれています。
 そのうちの数例を紹介します。
 まず、内モンゴル自治区西部のトゥメト地域での実態。
 たとえば、四家蕘人民公社では共産党書記の白高才は中国人たちを集めて、モンゴル人女性を逆さまにしてその陰部を縄で引き、大怪我をさせた。 中国人たちは妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引き出した。 中国人たちは、これを 「 芯を抉り出す 」 ワー芯ワーシンと呼んでいた。
 また、内モンゴル自治区中央部のチャハル右翼後旗のモンゴル人たちは、次のように回想している。
 《 ドルジサンという女性の牧畜民がいた。 ある晩、中国人たちは彼女を裸にしてから手と足を縛った。 そして、刀で彼女の乳房を切り裂いてから塩を入れ、箸でかき混ぜた。 鮮血は箸に沿って流れ、床一面が真っ赤に染まった。 彼女はこのように10数日間にわたって陵辱されて亡くなった 》
 このチャハル右翼後旗のあるウラーンチャブ同盟では、計1686人のモンゴル人が惨殺されていた。
 もうひとつ、以下はフフホト市に住むモンゴル人の証言。 彼女は当時、ウラーンハダ人民公社に暮らしていた。
 《 私が住んでいた集落は5戸のモンゴル人からなり、9人の女性がいた。 1968年2月のある日、中国人たちは片手に毛沢東語録を持ち、もう片手で鞭を持って私たちを叩いた。 鞭が切れ、棍棒が折れるまで殴られた。 親戚の20代の女性は殴られて流産したが、中国人たちは大声で笑い、喜んでいた。
 モンゴル人女性は例外なく中国人幹部や解放軍の兵士にくりかえしレイプされた。
 1968年の夏のある晩、彼らは私たち5人の女性を丸裸にして草原に立たせた。 私たちは両足を大きく広げられ、股の下に燈油のランプが置かれた。 すると、無数の蚊や蛾などの虫が下半身に群がってきた。 このような虐待方法はその後、何日もつづいた。 陵辱されている時、大勢の中国人たちがまわりでみて、笑っていたのである 》





 近年、いわゆる 「 従軍慰安婦 」 を 「 性奴隷 」 ( Sex Slaves )と見なす宣伝が活発化しています。 これを人類の歴史のなかで見るならば、様々な議論があるでしょう。 たとえば、そういうシステムを作らなければ民間の女性がレイプの被害に遭うのではないかとか、また日本軍だけじゃなく他国の軍隊もやっていたとか、 「 従軍慰安婦 」 を 「 性奴隷 」 と位置づけるアメリカも韓国も同様のことをやっていたではないかとか ── それぞれ主張はあるでしょう。
 しかし、私が申し上げたいのは、それらはあくまで戦時の出来事であり、戦時における性の問題です。 つまり、戦争という非日常における軍隊と性の関係なのです。
 ところが、文化大革命というのは戦時じゃない。 あくまでも平時なのです。 これが第一の大きな問題です。
 そして2つ目は、虐殺もレイプもそうですが、中国政府は然るべき処置を何ひとつしてこなかったということです。 これだけの性犯罪を含む残虐行為があったにかかわらず、誰一人逮捕もされず、裁判にもかけられず、ですから当然、処刑もされていません。
 南モンゴルでの虐殺を指示していたのは藤海清という中将で、毛沢東の部下です。 南モンゴルでは彼を逮捕して裁判にかけるべきと求めましたが、毛沢東と周恩来は 「 彼は革命のために貢献した人だから 」 と一切の罪を問わず、無罪放免にしました。
 そして、もうひとつが先に例を挙げたように、その残虐極まりない暴力です。 これはもう 「 従軍慰安婦 」 を 「 性奴隷 」 と呼ぶ以前の問題です。




 中国はいま、国をあげて西部大開発という計画を進めています。 内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区など、歴史的にずっと遊牧民たちが住んできた地域を経済的に発展させようという国家プロジェクトです。
 かつて日本人が満州から撤退したあと、中国人( 漢民族 )たちは現地の自然環境を無視して遠慮なく開墾し、多くの土地を砂漠化させました。 現在、黄砂が遠く日本列島にまで飛んで来るのはそのせいです。 彼らはなぜそんなことをしたのか? そこには、農耕と工業は遊牧よりも遙かに先進的で 「 立ち遅れたモンゴル人 」 は中国に同化すべし、という思想があったからです。
 それが二十一世紀から始まった西部大開発ではさらに強まっています。 いま中国人が狙うのは、モンゴルやウイグルにある豊富な地下資源です。 主に石炭と天然ガス、そして石油。 レアアースにウランもあります。 すべて彼らが手放したくないものばかりです。
 大量の中国人が移住し、傍若無人な乱開発が進められています。 中国政府は、そこを 「 新天地 」 だと吹聴しています。 西部大開発は 「 文明的な漢民族 」 が大量に移住して、 「 野蛮人のモンゴル人とウイグル人 」 を文明社会へと 「 助ける行為 」 なのだと宣伝しているのです。
 こうした背景のなか、2011年5月には、内モンゴル自治区中央部のシリーンゴル草原にて、一人のモンゴル人遊牧民が殺害されました。 その付近では石炭の露天鉱が発見され、連日、昼夜数百台のトラックが殺到。 漢民族による圧倒的なトラック隊は草原を無秩序に走り廻って、脆弱な植被を壊して土地を砂漠に変え、家畜を轢き殺しても弁償もしませんでした。
 遊牧民たちは政府に陳情したものの無視されたため自発的に立ち上がり、環境に配慮した石炭発掘を求めます。 しかし、漢民族は 「 モンゴル人を殺しても40万元(約500万円)払えば事は済む 」 と暴言を吐きながら、トラックの前に立ちはだかった30代の男性を衆人環視の前で故意に轢き殺したのです。 当然のごとく、その直後から内モンゴル各地で抗議デモが発生しましたが、すべて政府によって鎮圧され、多数のモンゴル人が逮捕されました。 そう、歴史はまた繰り返されようとしているのです。
 中国が今後も大国になっていこうとするならば、これら少数民族の故郷に対する傍若無人な開発は続くでしょう。 なぜならそこに埋蔵されている豊富な地下資源なしに、中国の継続的な経済発展は望めないからです。 これはもう自治ではなく、植民地支配です
 そしてこの帝国主義化はモンゴル、ウイグル、チベットに留まらず、その他の東南アジアの小さな国にまで広がっていく危険性もあるかもしれない。 日本に対しても今年5月、中国共産党機関紙人民日報が 「沖縄は日本により簒奪されたもの」 であり、 「琉球処分問題は歴史的に未解決」 と伝えたではありませんか。
 繰り返して申し上げます。 中国の民族問題は国際問題なのです。 そしてこれは、日本とも決して無縁ではないのです。