“国民総幸福量”( GNH=Gross National Happiness )を国是として、ゆるやかな変化、発展を続けるブータン王国に8月、9日間ほど滞在した。
 このGNHという概念は1976年12月、ワンチユク四代前国王がスリランカのコロンボで行われた国際会議で「 GNP( 国民総生産 )よりもGNHが、より重要なのだ 」 ( Gross National Happiness is more important than Gross National Product )と発言したことに端を発する。 ちなみに国王は当時、21歳だった。
 お金やモノという尺度とは異なる独自の幸せを追求するGNHは、①持続可能で公平な社会経済開発 ②自然環境の保護 ③有形・無形文化財の保護 ④良い政治の4本柱で、チベット仏教の考え方に根ざしているという。
 首都ティンプーの街を歩いていると、学校、家など至るところにワンチュク国王( 四代、五代 )の写真。 国民は国家をこよなく愛し、国王を敬愛し、信心深く、家族や親戚縁者を愛し、周囲を愛し、自然を愛で …… と「 愛 」 が溢れ、まるでストレスやプレッシヤーとは無縁のよう。 小学校では朝、イキイキと国旗掲揚、国歌斉唱をし、公用語はゾンカ語だが、英語を教育言語にハツラツと勉強をしている。
 世界のどこへ行っても近年「 中国 」 「 中国人 」 「 中国製 」 から逃げられないが、ティンプーの街中も例外ではない。 中国人観光客も訪れ、スニーカーやリネン類など、中国製品も目立つ。
 着物のような民族衣装ゴ( 男性 )とキラ( 女性 )が江戸時代の日本を彷彿とさせ、民族的特色を打ち出した建造物の装飾や手旗信号とともに、ノスタルジックな雰囲気。 一方で携帯電話を持ち、車を運転し、子供たちは両親に「 勉強しなさい 」 と言われながらもテレビのアニメに夢中、青少年は茶髪だったり、韓流スター風の髪形でキメている。
 そして適齢期の男女の週末といえば、サタデーナイトフィーバー( ちょっと古い表現?でもその表現がぴったりな感じ )。 人気の高いクラブでは週末、女性の入場料はフリー。 ジーンズ&スニーカーとカジュアルな服装でビシっと決め、明け方までクラブで踊って羽を伸ばす。
 3年前の国勢調査で「 あなたは今幸せですか 」 との質問に対しても、国民の90%以上が「 幸せ 」 と回答している。 GNHの概念が、ブータン人を輝かせている。




 そんなブータンにも一つ、気がかりな点がある。
 「 ブータンの国上が縮小している 」
 出発前から私はこの情報が気に掛かっていた。
 植民地化された経験こそないが、鎖国状態も経ている内陸国ブータンの国境は二大国 ―― インド、中国と接しており、地政学上、微妙な位置にある。
 インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州、西をシッキム州、南を西ベンガル州およびアッサム州と接し、北の国境線は中国のチベット自治区( 日本の国土面積の約4倍もある! )と接する。 国境線の大部分は、世界最高峰7千5百メートル級のヒマラヤ山脈の上を走る。
 国境画定交渉は両国間で現在も進行中だ。 ブータン政府が2006年に発表した新国境線によると、北部の突起部分がざっくりと切り取られた格好の国土に変形している。 ブータン王国が公式発表してきた国土面積は2006年までが約4万6千5百平方キロメートルだが、新国境線になってからは約3万8千4百平方キロメートル、18%近く縮小している。 かつて九州の1.1倍あった国土は九州の0.9倍に ……。
 チベット動乱を契機に、中国側の国境は長年、閉じられてきたが、いつしか侵蝕され、危険水域にあった。
 「 中国の人民解放軍が年に数キロメートルずつブータン側に入り込み、掘っ立て小屋を建てていた 」
 首都ティンプー在住者から聞いた、北部の山岳住民の証言である。
 人民解放軍によるこの蛮行に気づいたのは、高地に暮らし、ヤク( 牛科の哺乳類 )で生計をたてている遊牧民だった。 夏は牧草を求め4千メートル以上の高地をさまよい、冬は寒さを逃れ、低地へ下りてくるのが遊牧民の生活だ。
 が、何年か前から、「 ヤクが山を下りてこない 」 という事態に直面。 ヤクを探しに山深く入っていくと、見慣れない掘っ立て小屋があったというのだ。
 山を下りてこないヤクは一体どこへ? 人民解放軍に捕獲され売られている可能性が高い。 ヤクのバターやチーズは貴重な珍味で、高級加工品だ。 ヤクの毛皮製品も防寒服になる。
 中国国境と接する北部ガサ県は、ブータンで最も面積が広い県だが、人口わずか3千人ほど。 同県の辺境ラヤ村やルナナ村などは「 チベット文化圏の窓口 」 ともいわれ、農業に従事する定住者が暮らす以外は遊牧民のベースキャンプとなっている。 現地をよく知る一人がこう言う。
 「 現地はヤクによる産物と農作物を物々交換するのみならず、中国やインドとの国境貿易でかなり潤っています。 家には衛星チャンネルが映るテレビだってありますよ 」
 また、こんな声も聞いた。
 「 人民解放軍が直接、遊牧民から高額でヤクを買っているらしい 」
 道といえば未舗装のラフロードや農道( 四駆なら利用は一部可能 )のみ。 4千メートルから5千メートルの氷河地形が生存場所というヤクとの暮らしは、たしかに過酷すぎる。 遊牧民の一部は札束を見せられて、「 この機会に 」 と手放してしまったのだろう。
 アフリカではソウを殺し象牙を密売、ルール無視、自然保護の概念とはかけ離れた中国人が、ブータンで手に入れたヤクを大切に放牧するハズはない。




 小国ブータンはこの百年、隣国のインドに国防をゆだねてきた。
 二十世紀初頭、初代ワンチュク国王による国家再統一の時代、イギリスに替わってチベット支配を強化しつつあった中国( 清朝 )の脅威に備え、英国領インドと条約を締結。 イギリスの保護下に入ったのである。
 二代国王の時代の1949年、インドの独立を機にインド・ブータン条約を調印。 「 インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う 」 と、これまでの関係を継承する。
 1959年、ダライ・ラマ14世がインドヘ亡命。 チベットの二の舞を避けるべくブータンは鎖国政策を取り、早世した三代国王の弟( =四代国王の叔父 )の尽力で、1971年には国連への加盟も果たした。
 ブータン国土をサンドイッチする中印両国の国境線は1962年、大規模な国境紛争が起きて以来、一触即発の状態が続いている。 ブータンの東と接するアルナーチャル・プラデーシュ州はチベット・ビルマ系を中心に百万人以上の人口を抱えるが、中国は南チベットと呼び、インド領であることを認めていない。
 インドが同地域の領有権を主張する根拠は1913-14年のシムラ会議においてチベット〈ダライ・ラマ政権〉とイギリスとの間で合意されたマクマホン・ラインに基づく。
 が、中華人民共和国成立後に中国はチベットを併合、「 チベットが締結した外国との協定はすべて無効 」 とした。
 そのため世界で唯一、チベット仏教を国教とする“中印の緩衝国”ブータン王国も、少なからぬ緊張が続いてきた。
 中国とブータンは1998年に、「 中国・ブータン国境地帯の平和と安定を保つ協定 」 を締結、国境線もその際に画定した。 が、中国は時に武力で威嚇しつつ、その後も侵蝕を続け、掘っ立て小屋のみならず、数年前には数キロメートルの“冬虫夏草とうちゅうかそうロード”まで敷設してしまったというのだ。




 ここで冬虫夏草について触れておこう。
 ブータンは別名「 メンジョン 」 ( 薬草の国 )と呼ばれる薬草の宝庫で、北部は希少価値の高い冬虫夏草( Cordyceps ゾンカ語は「 ヤツァギュンブ 」 )の産地でもある。
 滋養強壮や精力増強、抗癌作用などの薬効が認められている冬虫夏草は、朝鮮人参や鹿茸ロクジヨウと並ぶ漢方の3大薬材の一つだ。 1993年、ドイツで聞かれた世界陸上選手権で、マラソンをはじめ驚異的な強さを発揮した馬軍団( 女子陸上選手団 )が、「 冬虫夏草入りドリンクを飲んで練習していた 」 とメディアに語って以来、日本でも注目されてきた。
 古くは揚貴妃も不老長寿のために使っていたといわれる秘薬・冬虫夏草は、昆虫等の体に寄生して育つキノコの仲間の総称で、冬は土中で虫の幼虫に寄生してその栄養分を摂取し、虫は死ぬ。 夏になると発芽して棒状のキノコが地表に生えてくる。
 300以上の品種が世界中で認められているが、その中でコウモリガの幼虫に寄生する「 コルディセプス・シナンシス 」 がホンモノ、最高級とされチベットの標高3千メートル以上の高山にしか生育していない。 しかも、工業国でなく酸性雨が降らないブータン産の品質は“お墨付き”といえる。
 小麦や大麦、そば、ナタネ等を栽培し、ヤクも飼養して自給自足に近い生活をしている農家にとって、換金手段の筆頭に上がるのが冬虫夏草だ。 ブータン伝統医療で使われるため国が買い上げており、地元民は年間、日本円にするとウン十万円、貴重な現金を得ている。
 が、昨今、それを喉から手が出るほど欲しがっているのが中国。
 ガサ県のラヤ村などでは、中国との冬虫夏草の取り引きが盛んで、シーズンになると、少なからぬ中国人がブータン側へ密入国し、冬虫夏草の乱獲に励んでいるというのだ。
 毎年、積雪が残る5~6月、雪をかき分け地上に出ているわずか数ミリ~数センチのものを見つけて採取するが、「 近年の温暖化で国境沿いの氷河が溶解したことで、中国からの密入国が容易になった 」 といった話も聞いた。
 近年、中国では冬虫夏草が投機対象になっているが、『昆明信息港』( 9月6日 )によると、「 雲南省昆明市内では1キロ46万元( 約575万円 )、40年前の1万倍の価格で取引される。 年間十万平方メートルの草地が破壊され、縄張りを巡っての殺人事件も頻発している 」 という。




 国境問題に話を戻すと、「 冬虫夏草ロードの地域までが、中国に組み込まれるのでは? 」 との危機感から抗議するブータン側に対し、中国側は「 道路の建設はチベットを含む西中国の経済発展のため 」 と居直ったという。
 「 全国から集まった国会議員が、ブータン・中国( チベット自治区 )との国境問題を、大変に憂慮している。 これは国家安全に対する脅威である 」 と2005年、ブータン国営テレビが報道。
 これによって国境紛争が明るみに出たが、同時期の地元有力紙によると、ブータンの国境管理防衛局長官は「 中国とブータンで両国の地図を見せ合ったところ、国境線のあまりの認識の違いに愕然とした 」 という。
 そして例のごとく「 一歩も譲れない 」 と、突っぱねた中国外交部の公式談話。
 「 中国とブータンは良好かつ平等な友好関係を維持しており、協議を通じて、両国間の国境問題が早期に解決するものであることを支持する。 双方の努力により、国境地区は平和で安寧な局面を維持している。 中国政府はブータンの伝統と友情を重視し、これまで同様に平和共存五原則の基礎の上、ブータンと近隣友好協力関係を発展させることを強調したい 」 ( 2005年12月1日 )
 「 隣接する14ヵ国との国境について、ブータン、インド以外とは画定を終えた 」 というのが中国側の発表だが、ブータンの国民議会は、これ以上の中国の侵犯を防ぐ意味からも、国境線を早く画定する重要性を強調し、交渉のために僧侶なども送り込んでいる。
 ブータンの有力紙『クエンセル』( 2009年12月4日 )によると、議員からの要求により、国境管理防衛局長官がブータン・中国の境界交渉に関する現状報告をしているが、「 中国の人民解放軍が2008年、09年とブータン領土に侵入、ブータン軍の基地にまで深く立ち入った 」 という。
 ブータンの地形に詳しいある日本人は、「 ブータンのこれまでの国境線も、いい加減だった。 川を境にするとか、山の頂点を結んで、南側がブータン、北側が中国という自然に即した国境線なら理解できるが、地形からはあまり根拠がなかった 」 と手厳しい。
 が、チベット仏教を信じるブータン国民にとって、山は精霊が住んでいるとされ、信仰の対象でもあるから、自国領と思いたいのも無理はない。
 事実、積極的に登山隊を受け入れてきたネパールと異なり、未踏の高山も多い。 最高峰のクーラ・カンリは主峰( 7538メートル )、中央峰( 7418メートル )、東峰( 7381メートル )の3峰から構成されるが、これらはとうとう「 中国の山 」 になってしまった。 ブータンの国土が今後さらに縮小することはあっても、チベット仏教の聖地( カイラス山一帯の飛び地など )が戻ることは、残念ながらなさそうだ。




 小国である上、国土が18%縮小となれば、日本など先進国の感覚では絶対に受け入れられない話だが、ブータン人の感覚は必ずしもそうではないらしい。
 「 遊牧民には国境の感覚が薄いから 」 「 人がほとんど暮らしていない場所だから 」 と概して能天気なのだ。 ブータンは山と谷、盆地が連なる地形で幹線道路は限られ、ラフロードしかない。 パロに国際空港はあるが、国内線もない。 辺境の村までは道路そのものがなく、徒歩で移動に数日かかるため、平面地図で考える距離感と実際の移動距離は随分と違う。
 標高2300メートルほどのティンプー周辺の街中で暮らしている住人にとって、7000メートル級のヒマラヤ山脈が連なる北部の国境線の村々や、標高100メートルほどでドワールとよばれる密林が広がる南部地方は、遥か彼方の「 天外 」 なのかもしれない。
 新しい地図を入手しようと土産物屋や書店で尋ねたが、どこも「 ない 」 という返事。 宿泊先のホテルや公共施設に貼られた地図は、古い国境線のままのものだが、小学校の教室に貼られる概略地図、小学生が書く国土は北部が平坦になった新しい形になっている。 他国のこととはいえ、なんだか悲しい。
 尖閣諸島周辺の日本領海内での日本と中国の蛮行を見るにつけ、ブータンの現状が他人事とは思えない。