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中国の侵略と虐殺の歴史

北京出身弁護士 米紙ニューヨーク・タイムに意見
  「日本非難は矛盾」 と指摘

 ニューヨーク・タイムズ4月28日付は中国人の著名な弁護士による中国の反日運動についての意見をコラムとして掲載した。 同コラムは中国当局が自国の歴史について偽りを重ねているとして、日本を一方的に非難することは矛盾だと指摘している。

 この中国人弁護士は、中国本土で最近まで農民の権利擁護などのために活動を続け、いまは米国に滞在している北京出身の浦志強氏。

 浦氏は 「中国の都合のいい記憶」 と題するコラム記事で 最近の中国での反日デモを取り上げ 「これらのデモは当局の承認を得ており、参加者にとっての危険はゼロだ」 と述べている 「中国の歴史も侵略と虐殺に満ちている」 として 「1989年の天安門での罪のない市民多数の殺戮は虐殺ではないのか」 と疑問を提起 している。

 浦氏は中国の教科書について
( 1 )1950年代の 「 大躍進 」 では毛沢東主席の悲惨な失敗で5000万ともいわれる人民が餓死したが、その歴史は削除されている。
( 2 )1960年代からの文化大革命でもどれだけの中国人が死んだか 隠されている。
( 3 )天安門事件での犠牲者の規模も触れようとしない。
 ―― などと指摘し、本では政権を堂々と批判できるが、中国では共産党当局をまったく批判できないという差は大きいとしている。

 浦氏は中国側のこうした実情を批判的に論評し 「中国は日本の態度を糾弾する前に 自国の弾圧などを正して 矛盾や二重基準をなくさなければ 日本に対して道義的に優位にあるということは主張できない」 と強調している。





2年前には
「日本はもう中国に謝罪しなくていい」
  と言った中国人もいた 「馬立誠」氏

 馬立誠マー・リーツォン1946年 四川省成都生まれ。 中国青年報評論部副主任を経て人民日報高級評論委員に。 2003年より香港フェニックステレビ( 香港鳳凰テレビ )の評論員を務めていた。 2004年8月 同テレビ局を辞職 北京に戻った。 辞職の理由についてはいろんな憶測が飛び交っている。
 馬立誠氏( この当時人民日報評論員 )は2003年7月 香港フェニックステレビ( 香港鳳凰テレビ )の2日間に渡って放送された講演放送番組 「 世紀大講堂 」 で 「 日本は中国に対して21回も謝罪しており すでに謝罪問題は解決している 」 と持論を繰り返し 日本の謝罪問題は解決済みとの立場を強調した。 中国では胡錦涛新体制の発足以来、これまでの常識では考えられなかったような多様な言論が生まれつつあった。

馬立誠の 「対日新思考」 論文

 新自由主義グローバリゼーションの推進による経済成長を最優先の至上命題とする胡錦濤政権は 日本との経済関係強化の妨げとなりかねない 「 歴史問題 」 「 靖国問題 」 を後景化させようとしてきた。 2002年12月 そのような方向性を公然と打ち出す論文がオピニオン誌 『 戦略と管理 』 ( 2002年第6期 )に発表され それを契機に新聞や雑誌 インターネット上で論争が展開されてきた。
 「 対日関係新思惟=思考 」 と題するその論文の筆者・馬立誠は人民日報評論員 その論文の大要は 経済成長と近代化のためには安定した国際環境 国際関係を作る必要があり 「 日本に対する固定観念を脱して日本との協力を深めるべきだ 」 というものである。
 そこでは 次のような 「 大胆 」 な主張が展開されている。
 「 国土が小さく資源の乏しい日本が世界第二位の経済的地位にあるのは アジアの誇りと言える 日本は民主・法治体制を確立しており 『 軍部 』 が専横する状況にはない 」
 「 日本の民族主義者の言動に 両国民は警戒している 石原慎太郎都知事の主張は 日本に危害を与えるだけだ だが 日本では友好を促進しようとの声が大勢だ 対日関係では 古い観念を捨て新しい思考を始めることが重要だ 」
 「 中国は戦勝国であり 大国であるという度量を持たねばならず 日本に厳し過ぎてはならない 」
 「 日本の謝罪問題は解決しており 形式にこだわる必要はない 日本は低利の借款で誠意を示してきた われわれは十分紹介してこなかったが いまは正確に評価すべきだ 」
 「 日本が政治・軍事大国をめざすこと 例えば平和維持活動のための軍隊派遣にも騒ぎ立てる必要はない 新たな競合の場は経済と市場であり 両国民は狭い観念を克服して一体化に向けて進むべきだ 」
  ( 朝日新聞2003年2月21日に掲載された論文要旨から )
 まさに グローバリゼーションのためには 「 歴史問題 」 も 「 靖国 」 も日本の軍事大国化も海外派兵もたいしたことではないという主張である。

「対日新思考」 と胡錦濤政権

 この馬論文を機に 「 対日新思考 」 を打ち出す論文が次々に現われた。 「 歴史問題 」 を棚上げし日本の国連安保理常任理事国入り支持など5項目の対日政策を 「 外交革命 」 として提案した時殷弘( 中国人民大学国際関係学院 )が 『 戦略と管理 』 ( 2003年第2期 )に掲載した一連の論文である。
日本の軍事力の拡大を一つの国家として是認すべきだとする論文
アジアの軍事大国である中国と日本が韓国と共同して安全保障機構を作るべきだとする論文
日本のODAが中国の近代化を促進したことを評価し 往復1000億ドルを超えた中日貿易や3000億ドルを超えた対中投資( 契約ベース )を軸に相互の経済的利益増大をはかるべきで 「 情緒的反日論 」 を克服すべきだという論文
 このような 「 対日新思考」を提起するさまざまな論者の論文が多くの雑誌や新聞に登場した( 辻康吾 「 中国の 『 対日接近 』 論争 」 『 世界 』 2003年11月号 )
 当然にもこのような 「 対日新思考 」 には 「 歴史認識こそ『 避けて通れぬ鉄の壁 』 」 という林治波の論文など 厳しい批判が続出している。
 時殷弘は 『 東邦時報 』 ( 2003年4月17日 )とのインタビューで 胡錦濤の 「 対日関係には新思考が必要 」 という発言を紹介している。 共産党中央宣伝部は 「 対日新思考 」 論者も招いた座談会を開き 2003年7月にはそれをまとめたパンフレットを地方幹部に配布した。


チベットを徹底弾圧することで出世した胡錦濤氏は
江沢民の引いた
 反日路線を修正できるのか


 胡錦濤氏はチベットを力で押さえ込むことで党指導部の信頼を得ることに成功し 権力の座への道が開けた。 このことは 現在のロシア大統領ウラジミール・プーチンが チェチェンを力で押さえ込むことで当時のエリツィン大統領の信頼を得ることに成功し 後継者の地位に座ったことを想いおこさせる。 チベットでは独立を唱える人たちは山につれて行かれ そこで射殺され 死体を燃やされる。 徹底的な弾圧により 今 チベットでは独立運動者が一人もいないのだ。 自分たちと異なる意見を持つ人を物理的に消去することは 鄧小平時代の 「天安門事件」、江沢民時代の法輪功弾圧 などを見ても珍しいことではない

 チベットはかつて独立国家だった。 しかし 中国による 「チベットはもともと中国だった」 という強弁と軍事力の脅しによって 中国の一部にさせられたのだ。 1951年 かつてのチベット政府は 中国の軍事的脅威のもとで中国政府と 「 17条協定 」 を結ぶよう強いられた。 この協定によってチベットは名実ともに中国の一部になったのだ。 当時 中国共産党は中国の他の地方で共産主義による急速な 「 民主改革 」 を進めたが この協定では、チベットの事情に配慮して 「 チベットには改革を強制しない 」 と約束していた。 しかし 現在にいたるまで 中国はこの約束を守ることは無く 「銃口から政権が生まれる」 という中国で有名な言葉どおり 中国はチベットを徹底的に弾圧 した。 仏教国であったチベットの95%の僧院を破壊し 多くの僧侶を還俗させ 経典を焼き 仏像を持ち去って溶かした。 また 僧院を中心とした社会の仕組みを壊し チベット人の土地を勝手に分配し 遊牧民から放牧地を取り上げて定住させようとした。 中国はこれを 「 封建農奴制からの解放 」 「 民主改革 」 などと呼び 600万人のチベット人に対して8万以上の人民解放軍を送り込んで求められてもいない 「 改革 」 を無理矢理進めた。 また 中国はチベット高原が広いのをいいことに 核実験場をつくり 核廃棄物・産業廃棄物の捨て場にし 鉄道を敷いて鉱物資源を持ち去り 貴重な野生動物を乱獲 している。 森林の豊富な東チベットでの乱伐は 1998年の揚子江水害の原因にもなった

胡錦濤( フーチンタオ )
1942年12月21日江蘇省姜堰に生まれる。
1956年7月江蘇省泰州市第二初級中学( 中学校 )卒業。
1959年7月泰州中学( 高校 )卒業。
1964年中国共産党に入党し また清華大学水利工程系卒業 水力発電所の技師となる。
安徽省の共産党青年同盟で政治活動を始め 抜群の記憶力で急速に昇進の道を歩んだ。
国家主席兼 中央軍事委員会副主席 中国共産党総書記兼中央軍事委員会主席。
1970年に大学同級生の劉永清( 北京出身 )と結婚。
1971年生まれの長男 1972年生まれの長女がいる。
1984年11月には安徽省の共産党青年同盟の最高指導者に就任
1985年9月 中共中央委員会の常任委員に昇進
同年 貴州省の共産党書記に抜擢される ( 42才 )
1989年1月 チベット自治区の共産党書記に就任
1989年3月7日 ラサに戒厳令を布告する 当時のチベットは独立を求める民族独立運動が厳しくなりつつあり この運動を押さえ込むよう弾圧すべしとの共産党中央の基本政策に忠実に従い 党指導部の信頼を勝ち得た
1989年6月 天安門事件が勃発した際も、その民主化運動のチベットへの波及を防御するため ラサを戒厳令下に置いた チベット自治区の最高責任者にあった4年間 「 1.分離主義の弾圧、2.経済建設を推進 」 する政策を実行し成果をあげた
1990年10月 チベット軍区中国共産党委員会の第一書記の兼任を任命される
1992年10月 中共中央政治局常務委員に任命される
1997年9月 第15回党大会で政治局常務委員に再選
1998年3月 全人代で国家副主席に選出
1999年9月 軍事委員会副主席に選出
2003年11月15日 中共第16期中央委員会第1回全体会議( 第16期1中全会 )にて 新総書記に選出され 中国の最高権力者の地位に上った
2004年9月19日 中共第16期中央委員会第4回全体会議( 第16期4中全会 )で、党の中央軍事委員会主席に就任し 党・政府・軍の権力の全てを事実上掌握した
2005年3月13日 全人代で国家中央軍事委員会主席に選出


 

 先の第16期中央委員会第6回総会( 6中総会 )で 「 和諧わかい( 調和のとれた )社会 」 構築を打ち出した胡錦濤政権だが、今回のチベット亡命者射殺事件に象徴されているように、少数民族政策や思想統制は強化される傾向にあり、 「 和諧 」 と逆行する強権体質が浮き彫りになっている。

 国連難民高等弁務官事務所( UNHCR )が運営するチベット難民受け入れセンターによると、年間のチベット亡命者は約2500人。一方、中国公安省の発表によれば、2005年下半期から今年上半期にかけて国境で逮捕された不法出国者の総数は2459人。このうちチベット亡命者がどれほどの割合を占めるかは不明だが、今回のような事件は氷山の一角、という見方もある。

 中国では今夏、ラサと青海省ゴルムドを結ぶ青蔵鉄道が開通、開通式には1989年のラサ暴動鎮圧の指揮をとった当時の自治区書記、胡錦濤国家主席が臨席し、中央のチベット支配強化を改めて印象づけた。このほか、米国に亡命したウイグル人権擁護家のラビア・カーディルさん( 58 )の新疆ウイグル自治区在住の息子ら3人が逮捕されるなど、ウイグル族への締め付けも目立っている。

 6中総会で採択された 「 社会主義と和諧社会建設に関する若干の重大問題の決定 」 には、貧富の差の是正など弱者擁護がうたわれる一方、社会安定と秩序維持のために 「 国内外の敵対勢力 」 の取り締まり強化も盛り込まれた。国内敵対勢力にはチベットやウイグルの民族活動家や民主化運動家、宗教家らも含まれると解釈されており、 「 和諧 」 というソフトな言葉の響きの裏側には思想や民族の弾圧強化を伴う血生臭さも漂っているようだ。

 

 9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧( 25 )や少年僧( 15 )らが、中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で放映され、国際社会を騒然とさせている。

 北京五輪を控え、 「 和諧社会 」 構築という胡錦濤政権が提唱する“理想”の陰で行われている中国の人権蹂躙に国連難民高等弁務官事務所( UNHCR )も調査を開始、米国などが非難の声を上げ始めている。

 映像はルーマニアの登山家、セルゲイ氏が偶然撮影したものをルーマニア民放局が14日に放映。その後、日本を含む各国でも放映され、米国の動画投稿サイト 「 ユーチューブ 」 などインターネットの映像配信で世界中を駆け巡っている。


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 現場はエベレストに近いチョオーユー峰のベースキャンプから見渡せる氷河。映像は9月30日早朝、氷河の上を1列に並んでネパール国境のナンパラ峠に向かって歩いている約30人の行列を見下ろすように撮影されている。警告発砲音が響いた後、次の発砲音で先頭の尼僧が倒れた。カメラは銃を構える中国兵士の姿、続く発砲で行列の最後尾の少年僧が倒れる様子、倒れた人を抱き上げる兵士の姿をとらえ、目撃した登山家の 「犬のように撃ち殺された」 というコメント が流れる。

 セルゲイ氏がテレビのインタビューに答えたところによると、一行はチベット仏教徒でダライ・ラマ14世に会うために亡命を敢行した。セルゲイ氏は兵士の襲撃を逃れた亡命者を助け、食料や衣類を分け与えたという。

 この事件について12日に 中国当局は、兵士が違法越境者に対し引き返すように説得したものの、 「( 抵抗したため )発砲した。正当防衛だ」 との公式見解を発表。1人が死亡、2人が負傷したとしている。

 しかし、映像が公開されたことで、亡命者の約半分が6~10歳の子供で、無防備な状態を背後から銃撃されたことが判明。 チベットの難民組織など複数の人権団体の情報を総合すると、亡命者は全部で73人で、ネパールにたどりついたのは43人。そのほかは子供を中心に相当数が当局に拘束されているという。



3年後の未来予想図
北京五輪に日本は参加しているのだろうか
反日ムードの中での五輪なのか

 橋本内閣および小泉内閣で二次にわたり首相補佐官をつとめ 外交評論家でもある岡本行夫氏による 中国国民へのメッセージがある( 以下 )


 最悪のシナリオから考えよう。 2008年北京オリンピックの女子マラソン 先頭を走る日本選手に 42キロの沿道を埋めた観衆から 「 小日本 」 「 鬼子 」 と罵声が浴びせられる。 ペットボトルを投げるものもいる ……。 世界中の人々が自国の応援に集まるなか 日本の応援団だけは 「 中国人民を刺激すれば安全は保証できない 」 と中国政府に言われ 日の丸も振れないし 日本語の声援もダメ。 日本選手達は どの種目でどの国と対戦しようと 中国人観衆の怒声と相手国への大声援の中で競技しなければならない。 その前に、日本ではそのようなオリンピックに参加すべきかとの議論も出ていよう。

  さらに深刻なのは10年 20年後だ 中国の経済規模は日本を凌駕りょうがし 圧倒的なアジアの最強国家になっている。 その時代に中国の政府 軍部 社会を支配するのは 嫌日感情の強い世代である。 日本の国家安全保障に直結する事態となる

 日中双方とも 今の事態の深刻さを十分認識していない。 放置すればそうなるのである。

 中国で 戦争を直接体験した世代よりも若い人たちに嫌日感情が強く 6割が 「 日本は嫌い 」 と答えるのは 教育の所為以外の何物でもない。 中国の学生たちは日本人が2000万の中国人を殺したと教育される。 当時の江沢民主席は1998年に早稲田大学で 日本は中国の軍民3500万人を死傷させたと演説した。論争を避ける日本政府はこうした数字に抗議しないから ますます中国人にとってこの数字は正しいものとなる。父母の時代に2000万人殺されたと信じれば その加害国との友好など どの国の若者にとっても笑止千万の話だろう。 日中は 米国とイラン インドとパキスタンのように ほとんど不倶戴天ふぐたいてんの敵同士となってしまう。 悲観論者はアテネとスパルタと言うかもしれない。

 1972年の日中国交正常化からの経緯をよく知る人たちが 専門知識の故に 見失うことがある。 それは 今や反日感情は これまでのような 「循環」 ではなく 拡大深化する 「趨勢すうせい」 であることだ。
第一に、組織的な愛国反日教育は1994年から行われ 反日感情の再生産は今も続いている。 学校ばかりでない 中国各地に抗日記念館の建設が続き 日本軍の残虐行為の展示を 全国で年間に何百万人という小中学生が見る。 この累積的な効果が いまや臨界点を超えてしまったのである。
第二に、1999年秋から中国で急膨張を続けるインターネットの伝播力がある。 壁新聞の時代とは違う。 以前から 中国のインターネットに 「 日本製品ボイコット 」 の語が登場する規模を検索してきたところ 結果は去年の9月が28万ページ 今年2月が39万ページ そして現在が80万ページだ。 日本の安保理常任理事国入りに反対する署名サイトもいくつもできた。 署名は秒単位で増加し 途方もない数になっている。
第三に、経済が大躍進し宇宙開発にも成功する中国で 若者の誇りと自信は年ごとに ナショナリズムを高めている。
 もちろん小泉首相の靖国参拝 尖閣や海洋権益を巡る日中の衝突 中国人の自国政府への不満の高まりなどの最近の事象も反日感情を加速化しているが 何よりも ここ10年以上の 「 趨勢 」 が背景にあることが基本構図である。

 趨勢である以上 中国に 「 感情的にならずに冷静に 」 と呼びかければ済む話ではない。 思えば 1995年の戦後50周年が 日中の不幸な歴史の幕を閉じる最後のチャンスと思われたが その機会は失われた。 ここまで日中関係が来てしまった以上 日中双方が考えるべきことは 「 日中友好 」 などという 通り一遍の言葉ではない。 逆に 国際社会で日本を孤立化させようとの今の中国の目論見も百害あるだけだ。 最悪のシナリオを双方が認識し それでいいのかと問うことから始めよう。

 中国の特に学生諸君に訴えたい。 愛国の精神は当然だが 日中関係については 相手側の言い分も含め 全ての情報を知った上で判断する努力をしてほしい。 例えば日本が3兆円以上の資金で中国経済を支援してきている基本的事実など 政府から聞かされていないのではないか。
 あなたがたの国には大きな能力がある。 しかしそれを国家の輝ける未来に転化するためには 日本を含む世界の協力を得ること 国際ルールを踏まえることが必要だ。 よく考えて欲しい。


 日本側では 60周年の今年も 1995年同様に総理談話を出すべきだろう。 過去は消せないにせよ 歴史と教科書を日中が共同で検証し せめて1980年代の日中関係に戻すための戦略を日中で考えよう。 中国にその用意がないのであれば 東アジアの将来は暗い。



歴史を捻じ曲げているのは日本ではなくて中国だ
米紙ワシントン・ポストが中国を批判

 4月18日付の米紙ワシントン・ポストは中国での反日デモに関連し 歴史問題に正面から向き合おうとしていないのは中国であり 中国はアジアの指導権を握ろうとして、日本を 「 悪者に仕立てている 」 とするフレッド・ハイアット論説面担当部長( 元東京特派員 北東アジア総局長 )の署名評論を掲載した。

 評論は 「 中国の身勝手な記憶 」 との見出しで 日本の教科書における南京大虐殺の扱いが問題なら 「 毛沢東の大躍進政策 」 で起きた飢饉で3000万人が犠牲になったとされることや 「 1979年のベトナム侵攻 」 などを教科書に記載しない中国に問題はないのかと批判した。

 さらに 日本では歴史認識問題で 「 延々と開かれた論議 」 がなされ 靖国問題でも賛否両論があり 教科書も選択可能と指摘。 中国では 「 歴史( 叙述 )は1種類しか許されず 」 それは共産党が決めていると日本を擁護した。



愛国教育という名の反日教育を始め 推進した江沢民さん
10年間の教育の成果に満足してますか

 江沢民という人は義父を対日戦争において亡くしている。 だから個人的に日本という国が大嫌いだ。 自らが国家主席となり権力を握ったとき その権力を自らの私怨をはらすために使ったのだ。 生まれながらに反日思想を持った中国人はいない。 「愛国主義教育」 という名の 「反日主義教育」 が筋金入りの反日世代を生み育て上げたのだ。

 中国で戦争を体験していない若者たちが 「愛国無罪」 を叫び 暴力的な反日行為に走る背景には江沢民・前国家主席時代の1994年に強化された 「愛国主義教育」 の影響がある。 それを具体化した中国教科書は 戦前の日本に関しては虚偽・事実誤認も含め残虐性を強調する一方 戦後の日本には言及していないのが特徴だ。 日本政府が中国に対し こうした反日教育の是正を要求してこなかったことが 「 今回のような事態を招く遠因となった 」 ( 閣僚経験者 )ともいえる。

 「教師は 日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて 日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」。 民間のシンクタンクで中国や韓国の教科書に詳しい日本政策研究センターによると 中国の教科書 「中国歴史」 の教師用指導書は 南京事件についてこう記し 対日憎悪をあおっている。

 また 日本による中国侵略計画が記された 「 偽書 」 として有名な 「 田中上奏文 」(※) について、中国の教科書は事実として記述。日本が勝利し 世界史的な意味を持つ日露戦争には一行も触れていないなど著しく偏った内容となっている。 さらに チベット侵攻は 「 平和解放 」 朝鮮戦争は 「 米国の朝鮮侵略 」 とするなど不可解な記述が多いが 中国教科書は事実上 国定で 日本のように複数の中から選ぶことはできない。

 このため 前回平成13年の教科書検定時にも 自民党からは 「 中韓の教科書についても意見提起すべきだ 」 との指摘が出ていたが 外務省は 「 中韓にはまだ戦争の痛みが残っていることも理解してほしい 」 ( 当時の槙田邦彦アジア大洋州局長 )などとし 中韓両国に公式ルートで教科書是正を要請することはしてこなかった。
 一方、米国のブッシュ大統領は2002年に訪中した際の講演で 中国教科書の 「 米国は弱者をいじめ 貧しい者を抑圧している 」 などの記述について 「 誤っている上に有害だ 」 「 現状をねじ曲げており 訂正すべきだ 」 と是正を迫った。 この問題では及び腰の日本との違いを見せている。

(※) 「 田中上奏文 」 (たなかじょうそうぶん)
日本の世界征服計画書だとされる偽書 田中メモランダムとも呼ばれる。 昭和2年 ( 1927 ) に時の首相 田中義一から昭和天皇に差し出された上奏文の形を取るが 内容的に昭和4年 ( 1929 ) の公表間際に書かれたのは明らかで 田中自身の経歴に誤りがあったり 上奏文としての形式に基本的な不備があったりするため 偽文書であることは明らかである。 しかし現在でもロシアや中国では本物だと信じられており 中国では特に教科書などで教えられていたりする。 また 米国政府によって戦時中の反日プロパガンダに利用されたため 米国をはじめとするそれ以外の国々でも信じ込んでいたり 田中上奏文に基づく史観が名残りを留めていたりする。 なお 一時期米国の学者によってソ連謀略説が唱えられたことがあるが 成立時期を考えると成り立ち得ない。







 尖閣諸島周辺や南シナ海での乱暴狼藉を見て、日本国内において中国への危機感を強める人が増えているが、一方で、不思議なほど中国への警戒心がない人もいる。 8月29日に放送された 『橋下×羽鳥の番組』 ( テレビ朝日系 )では、元参議院議員の田嶋陽子氏が 「尖閣諸島は一度手放して中国に渡すべき」 という大胆な持論を述べた。

 この発言に対して放送直後からネットでは議論が沸き起こったが、こうした意見は田嶋氏の専売特許ではない。

 「友好の妨げになるくらいならば、あげてしまえばいい」 という類のアイデアは、主に左派とされる人の口から出てくることが多い。

 こうした人たちは 「それで揉め事がなくなって、友好関係が保てるのならばいいじゃないか」 と考えているのだろうが、果たして中国に対してそのような善意は通用するのだろうか。 そのように心を許しても大丈夫なのだろうか。

 それを考えるうえで重要なのは、過去の歴史を学ぶことだろう。


参考資料:[出典]防衛省のレポート 「南シナ海における中国の活動」 (2015年5月29日)

 公文書研究の第一人者である有馬哲夫早稲田大学教授は、新刊 『歴史問題の正解』 の中で、 「現代中国の歴史は侵略の歴史である」 と題した章を設け、戦後間もない頃の中国の 「侵略」 の姿をわかりやすくまとめている。 以下、同書から引用してみよう。




 意外なことに、中国のアジア各地での拡張主義的動きは、朝鮮戦争と時期が重なる。

 朝鮮半島に約30万の軍隊を送った中国は、この戦争にかかりっきりだったと思い込んでいたが、実際はまったく違っていた。

 中国は朝鮮戦争とほぼ同時進行で、ヴェトナム北部に大軍を送り、ミャンマー( 当時はビルマ、以下同 )北部・タイ・ラオス・中国南部の国境地帯で領土拡張の浸透作戦を行い、台湾に侵攻するための艦船の供与をソ連に求めていた。

 しかも、前年の1949年にはすでにチベット東部を侵略していて、朝鮮戦争のさなかにも中央チベットまで侵攻し、チベット征服を完成させているのだ。

 まさしく貪欲そのものだ。

 こういった中国の侵略的動きの全体を眺めてみると、朝鮮戦争への中国の参戦がこれまでとは違ったものに見えてくる。 つまり、この参戦は、自衛というよりは、中国が周辺諸国に対して起こしていた一連の拡張主義的動きの一部だったと見ることができるということだ。

 事実この戦争のあと、中国はソ連に代わって北朝鮮の宗主国となる。

 その後、中国はさらにヴェトナム、ラオス、ミャンマー、タイ、インドへとターゲットを変えつつ、侵略的動きを継続させていく。近年の西沙諸島や南沙諸島の島々の強奪、そして尖閣諸島への攻勢は、この延長線上にあるのだ。

 まず、中国の拡張主義的動きがどのような背景から起こったのかを知る必要がある。 以下の本国( アメリカ )の国務省―アメリカ極東軍司令部( 東京 )間の1950年1月24日の電報はこれを明らかにしてくれる。
「( 前略 )中国の勢力圏のなかにおいては、ソ連はチベットを含む戦争において( 中国に )特別な権利を認めることになっている。 熱烈な親ソ派は、共産主義拡大のためには国境線など忘れるべきだとする。 共産主義のために中国が提供すべきとされる兵力は500万に引き上げられた。 30万人の中国人労働者がすでに満州からシベリアに送られており、さらに70万人が6ヶ月のうちに華北から送られることになっている。 中国のあらゆる施設と炭鉱にソ連の技術者が受け入れられることになっている。 ソ連式の集団的・機械的農業を夢見る熱烈な親ソ派は、農民がいなくなった耕作地と残された人々の飢餓を平然と眺めている。 ( 後略 )」



 ここでは中国とソ連の間の密約が明らかにされている。 つまり、中国は共産圏拡大のために500万人までの兵力を提供することを約束し、満州と華北から100万人の労働者をシベリアに送ることにしている。 それと引き換えに、中国の鉱山や施設にソ連の技術者を送ってもらい、領土を拡張することをソ連に認めてもらっている。

 満州と華北の人民といえば、軍閥同士の覇権争い、日中戦争、ソ連軍の侵攻、国共内戦によって多大の被害を被った人々だ。 新生中国は、よりによって、もっとも戦禍に苦しんだ同胞をシベリア送りにし、その代わりとして、ソ連の技術者を派遣してもらい、隣国を侵略する権利をソ連から得たのだ。

 しかも、特に熱烈な親ソ派は、大動員の結果として広大な耕作放棄地が生じても、あとに残された人々が飢餓に苦しんでも、平然としているという。 ソ連式の集団的・機械的農業が導入できるというので、このような事態を歓迎しているようだ。 朝鮮戦争に駆り出されたのもこの地域の住民だったのではないだろうか。 「中華人民共和国」 といいながら、中国共産党幹部は人民の生活と生命をないがしろにしている。



 「歴史に学べ」 といった主張は、左派、右派双方から唱えられているが、冷静に事実を見れば、大日本帝国の 「侵略」 によって平和が侵され、甚大な被害を受けたはずの中国が、その戦争からほんの数年で、アジア各地を侵略していただけではなく、100万人もの自国民をシベリア送りにしていたということになる。

 「尖閣諸島なんか手放せ」 という人たちは、この中国と現在の中国はまったく別の性質を持つ国家だと思っているのかもしれない。 しかし、その根拠はどこにあるのだろうか。