( 2015.01.07 )
退
  

  

 2015年1月5日、パナソニックが海外で生産して日本に輸入している国内向けの製品について、今春から国内生産に切り替えていくと発表し、中国でも大きな注目を集めている。

 今回の方針転換は円安が進んでいることや人件費が上昇していることを受けたもの。 中国などで生産されている洗濯機やエアコンなどおよそ40種類の家電について、国内生産へと切り替えるという。 これにより、国内の雇用の増加も期待される。

 これを受け、中国のネットユーザーからは以下のようなコメントが寄せられている。

出て行け。
人件費のためだけじゃなく、中国の失業率を上げるのが狙いだろう。
パナソニックは最初に中国にやって来た日本企業で、その後の日本企業の対中投資を促した。 パナソニックが去ったら、日中は開戦するのだろうか。
ほかの日本企業がこれに続きそうだな。
日本回帰が日本製造業の新たな流れになるかもしれない。
( 製品が )高くなるんじゃないの?
支持する。 品質がもっと良くなるだろう。
良いことだ。 中国だろうとほかの国だろうとメイド・イン・ジャパンはよく売れるから。
日本製品ボイコットなどと言っているが、日本企業が去ってしまったら中国経済は急速に失速して、失業率が爆発的に増加する。

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中国の鄧小平副総理(当時、中央右)と握手を交わす松下幸之助氏(中央左)

 嵐のような1週間だった。 日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化に抗議し、中国全土に吹き荒れた反日デモ。 現地に進出する日本企業が標的となり、パナソニックの工場も設備などが壊され、一時休業を余儀なくされた。 中国では改革開放路線の黎明期、鄧小平トウショウヘイ氏の求めに応じ、日本の製造業では戦後初めて中国進出を決めた同社創業者の松下幸之助氏は 「井戸を掘った人」 とたたえられてきた。 その恩人の工場を襲った反日デモは、かつての最高実力者の顔に泥を塗ったことにもなる。




 「歴史を知らない一部の方が被害をもたらしており、非常に残念だ」。 幸之助氏の孫で、パナソニック副会長の松下正幸氏は落胆の表情を浮かべた。

 中国と同社の歴史は、まだ松下電器産業だった昭和53( 1978 )年10月にさかのぼる。

 日中平和友好条約の批准書交換のため来日した鄧小平氏が大阪府茨木市の同社のテレビ工場を見学したのが原点だ。 ときあたかも、中国が改革開放路線を宣言する2ヵ月前。 当時副首相の鄧小平氏はホスト役の幸之助氏にこう切り出した。

 「あなたは “経営の神様” と呼ばれていますね。 中国の近代化を手伝ってくれませんか」

 幸之助氏は 「できる限りのお手伝いをします」 と応じ、交流がスタート。 翌54年には幸之助氏が訪中して鄧小平氏と懇談し、北京駐在員事務所を開設した。 62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、日本企業で戦後初の中国への工場進出となった。




 中国が外資を誘致し、外国の資金と技術ノウハウを使って中国経済を成長へと導いた時代。 同社も次々と現地で合弁会社の設立を進めるなど経済成長の功労者と位置づけられ、幸之助氏は 「井戸を掘った人」 とされてきた。 パナソニックと社名変更した後も中国だけは現地統括会社の中文( 漢字表記 )社名として 「松下電器( 中国 )有限公司」 を使用しているのも現地での認知度と好印象が浸透していたからだ。

 幸之助氏と鄧小平氏の最初の出会いから30年後の平成20( 2008 )年5月。 来日した胡錦濤国家主席が大阪府門真市の松下の本社を訪れた。

 このとき胡主席は、出迎えた松下正治氏( 当時名誉会長 )に歩み寄ると、 「幸之助氏の “支持” は永遠に忘れることができない。 中国の発展に尽くしていだたき、ありがとうございます」 と感謝の言葉を語った。 2代目社長の正治氏は幸之助氏とともに鄧小平氏を出迎えた1人。 胡氏の振る舞いは 「井戸を掘った人を忘れない中国」 をあらためて印象づけた。




 中国は今、鄧小平氏が主導した経済政策の結果、国内総生産( GDP )世界2位を実現した。 日中の立場は逆転しつつあり、中国側には 「もう日本に配慮しなくてもいい」 という態度が目立つ。

 




 支那の諺とされる、 「中国人は井戸を掘った人の事を忘れない」。
 メディアでもよく登場する諺だ。
 井戸を掘る = 水を得るということは、生活の基礎を築くこと、生活の礎になるものを得ることである。 困難のなかにあって、礎を築くために最初に汗をかいた人は尊く、常に心の中に留め、その人たちへの感謝の意を忘れないという、好意的な文脈で使われる。

 ところが、この諺が本来持つ意味は全く違うようだ。
 中西輝政氏の近著 「賢国への道」 にその解説が述べられており、目から鱗がポロポロ落ちた。

 昨年、日本による尖閣列島の国有化に端を発した、支那での反日デモでは、パナソニックの工場が狙われた。 もともとパナソニックの支那進出は、1978年に鄧小平が来日した際、鄧自身が希望して松下幸之助に会いに行き、支那の近代化に力を貸してくれと頭を下げたことにより始まった。 以来、松下幸之助とパナソニックは、支那の工業化のために尽力した。 松下幸之助こそ、井戸を掘った人なのである。

 だが実は、この 「井戸を掘った人の事を忘れない」 には、日本では知られていない真の意味がある。
 中西氏の著書から少々引用してみる。
 これはもともと毛沢東が言った言葉です。 昔、毛沢東は支那の山奥で蒋介石率いる国民軍と戦っていました。 共産党のゲリラが国民党支配の農村を占領すると、そこに井戸を掘らせました。 その井戸に水が出るようになった頃、しばしば蒋介石軍が攻め返して来た。 そこで毛沢東は逃げる際に 「井戸を掘った人の恩は忘れるな」 と言ったのです。 共産党が井戸を掘ってやったのだから蒋介石政権になっても共産党に協力しろよ、という意味です。 これは蒋介石に寝返って協力したやつは共産党が攻め返したときには井戸の中に叩き込むぞ、というオチまでついています。 実際に、この見せしめのために多くの農民を殺していたのです。 だから、井戸の水を飲むときには共産党のことを思い出せ、というわけです。
 諺の本来の意味を知ると、この諺が使用される背景にあるのは、美辞麗句による支那と共産党の美化であることがわかる。 決して美しい言葉でもなんでもなく、実は非常に怖い言葉なのである。 従って、この装飾された言葉に乗っかるメディアは、まんまと支那の宣伝戦の片棒を担いでいるという構図になる。
 実に巧妙だ。

 この支那人の性質をもっと端的に著す諺がある。
 「狡兎死して走狗烹らるこうとししてそうくにらる」 というものだ。
 捕まえるのが難しいウサギを捕まえようと、犬をこき使う。 しかし、ウサギを仕留めたら犬は必要なくなるから煮て食べてしまうという意味だ。 必要なときは重宝がられるが、用がなくなればあっさり捨てられることを表わしている。
 これを反日暴動の攻撃を受けたパナソニックに当てはめると、パナソニックはウサギを捕まえる( 支那の工業化 )のためにこき使われ、ある程度工業化が済んでしまって捨てらた( 煮て食べられた )ということだ。
 支那も、品質は悪いが家電製品を製造するようになった。 ライバルのパナソニックはお払い箱ということだ。 支那のデモは概ね官製デモであることを考えれば、暴徒化して破壊しても良い対象を、当局から示されていた可能性は否定できない。
 このことは、 「井戸を掘った人のことは忘れない」 という、日本で好意的に訳されている諺とは真逆の行動なのである。

 いま、 支那に進出している日本系企業も、 パナソニックと同じ憂き目にあう可能性は否めない。 最近の財界人は、 日支関係の悪化による通商上の不都合を、 政治の側に責任を転嫁する風潮があるけれども、 マーケットだけではなく、 政治状況や文化、 民族性を全て勘案して進出の是非を決断するのが、 企業人の役目である。 究極的には自己責任なのだ。
 野田前首相の尖閣国有化は、 文字通り最悪のタイミングで実施されたが、 それがなくとも、 今後支那による日本への挑発が収まることはないだろう。